50代まで評価されなかった絵師の生存戦略

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

フリーランスとして20年以上この仕事を続けていると、「このまま今までのように描き続けていて、本当にいいのかな」とふと立ち止まりそうになることがあります。

周りを見れば、自分より若いクリエイターが華やかに評価されていたり、同世代が組織の中で着実にキャリアを築いていたり……。 そんなとき、僕は歴史上の大先輩を思い出して自分を奮い立たせます。その一人が江戸時代を代表する浮世絵師「葛飾北斎」です。

コケ丸
コケ丸
北斎って、あの波の絵で有名な世界的なスターだろ? 悩むことなんてあったのかよ
よしたか
よしたか
実はね、あの波のイメージは彼が70歳を過ぎてからのものなんだよ。それまでの彼は、今の言葉で言えば「なかなか芽が出ない、ちょっと変わったフリーランス」ともいえるんだ

北斎は、ずっと売れていたわけではありません

北斎といえば、誰もが「神奈川沖浪裏」の巨大な波を思い浮かべますよね。 でも、彼があの『富嶽三十六景』を描き始めたのは70歳前後のこと。人生の終盤に差し掛かってからの大仕事なんです。

それまでの北斎は、お世辞にも「順風満帆な成功者」とは言えませんでした。

  • 19歳で勝川派に所属するも他の流派の技法を学びにいき35歳で破門。数年後にはどこの流派にも属さず、自由に絵を描き始める。
  • 引っ越し回数は生涯で93回。よほど掃除が嫌いだったらしく、収入の不安定さから家賃の安い場所を求め、借金取りを逃れる目的もあったとされる。

若い頃から天才としてちやほやされていたわけではなく、むしろ泥臭い試行錯誤を延々と繰り返していた人なんですね。

50代の北斎は「すごい人」ではなかった

意外に思われるかもしれませんが、50代の北斎はまだ「別格の巨匠」という扱いではありませんでした。 絵はうまいけれど、どこか奇抜でやりすぎ。そんな「ちょっと変わったベテラン絵師」という評価が近かったのかもしれません。

今のフリーランスに置き換えると、ちょうど中堅の時期でしょうか。 技術はある。経験もある。でも、世間をあっと言わせるほどの結果には届いていない……。そんな、一番もどかしい時期を、北斎も長く過ごしていたようです。

コケ丸
コケ丸
50代でもまだ「途中」だったのか。なんだか、ちょっと勇気が出るな

それでも、描くのをやめなかった理由

北斎が本当にすごいのは、評価が追いつかない時期が何十年続いても、描くことを決してやめなかったことだと思います。

・仕事が減っても描く
・生活が荒れても描く
・誰にも理解されなくても描く

彼にとって描くことは、成功するための手段ではなく、生きることそのものだったのかもしれません。 70歳を過ぎて世界を驚かせたあの波の表現も、実は何十年も前から何度も挑戦し、失敗し、書き直してきた積み重ねの果てに生まれたものなんですね。

よしたか
よしたか
ではここで一気に見てみよう。北斎の波の表現に注目してね

北斎33歳の時の作品「江ノ島春望」

北斎44歳の時の作品「賀奈川沖本杢之図」

北斎45歳の時の作品「おしをくり はとう つうせんのづ」

そしてこれが北斎72歳の時の作品「神奈川沖浪裏」

コケ丸
コケ丸
おお…こうしてみると一気にその進化がわかるな…!
よしたか
よしたか
でしょ。いくつになっても成長の余地があるって思えて勇気づけられるよね

フリーランスは、途中がいちばん苦しい

長く活動を続けていると、この「中堅の壁」が一番しんどかったりしますよね。特に40歳を超えるとクライアントのほうが同年代ではなく若手になり、不安を覚えます。多くの人が「自分には才能がないのではないか」と自問自答するのがこの時期でしょう。

でも北斎の背中を見ていると、それは才能の有無ではなく、単に「まだ形になる前のプロセス」を歩いているだけなのかもしれない、と感じるんです。 今、もし思うような結果が出ていなくても、それは失敗ではなく、まだ長い道のりの途中なだけなのだと思います。

コケ丸
コケ丸
確かに、あの波の表現はしぶとさの結晶とも言えるな

北斎に学ぶ、フリーランスの生存戦略

北斎がただ「しぶとかった」だけではないのは、その仕事の進め方に表れていると思います。現代の僕たちが参考にできそうな、かなり戦略的な側面も持っていたんです。

名前(画号)を変え続け、ブランディングを更新する

北斎は生涯に30回以上も名前を変えています。「勝川春朗」「為一」「画狂老人卍」等。これは単なる気まぐれではなく、自分の画風や活動ステージが変わるたびに、ブランドを自ら再定義していたのではないか、と僕は考えています。過去の自分のイメージに縛られず、常に「今の自分」を打ち出し続ける勇気を持っていたのかもしれません。

流派に縛られず、専門分野を再設計し続ける

彼は狩野派や土佐派、さらには当時珍しかった西洋画の技法まで、貪欲に吸収しました。一つの型に安住せず、自分の武器を常にアップデートし、新しい専門性を掛け合わせていく。この「学び直し」の姿勢が、彼の表現を唯一無二のものにしていったのだと思います。

晩年に「集大成」を持ってくる、長期プロジェクトの視点

北斎の代表作の多くは、彼が積み上げてきた技術や知識が、数十年という時間を経てようやく形になったものです。「早く結果を出さなければ」という焦りに飲まれず、一生をかけて一つの大きなプロジェクトを完成させる。まさに「大器晩成」を地で行くような、長い目を持った仕事術と言えるのではないでしょうか。

コケ丸
コケ丸
名前を変えるのも、新しい技術を学ぶのも、全部「飽きないため」じゃなくて「進化するため」だったんだな

最後に

フリーランスにとって、成果が出るタイミングは人それぞれ違います。 北斎は、50代まで目立たず、60代で迷走し、70代でようやく歴史に名を刻みました。 遅いと言えば、これほど遅い成功もありません。

でも、彼は描き続けました。 90歳を超えてからこんな言葉を残しています。「あと10年寿命があれば、いや、5年長生きできれば本当の絵師になれるのに

北斎の波は、才能の輝きというよりも、しぶとく、泥臭く、それでも描き続けた人間の「継続の記録」なのだと僕は思います。なので僕も正直しんどい時もありますが、続けていこうという気持ちになります。

今日もし、筆が重いと感じている方がいたら。 北斎のしぶとさと生存戦略を、ほんの少しだけ意識し、お守り代わりに持ってみるのはいかがでしょうか。

よしたか
よしたか
以上、遅咲きの天才絵師、葛飾北斎のお話でしたー

おしまい。

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。