「完璧」目指すほどしくなる理由

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

突然ですが、「自分は完璧ではない」と思いながら仕事をしている人は、多いと思います。締め切りを守れなかった、クライアントの期待に応えられなかった、もっとうまくやれたはずなのに。そういう後悔や自己嫌悪を、心のどこかに抱えながら日々働いている……。

そんな人に、ぜひ知ってほしい人物がいます。鎌倉時代の僧侶、親鸞(しんらん)です。

「なんだお坊さんの説教か」と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。親鸞の思想には、現代のビジネスパーソンやフリーランスにとって、常識をひっくり返すような、凄まじい逆転の発想に満ちているんです。

エリート親鸞が、なぜ挫折した

親鸞は1173年、京都の貴族の家に生まれました。わずか9歳で出家し、比叡山で20年間修行を続けます。比叡山といえば、当時の仏教界のエリートコース。そこで彼は一心不乱に「煩悩を消そう」と修行し続けた相当な努力家でした。

ところが29歳のとき、親鸞は比叡山を下ります。

理由は、「どれだけ修行しても、心の中のドロドロした感情が消えない」ことへの絶望でした。どれだけ厳しい修行をしても、欲や怒りや嫉妬といった煩悩が消えない。「自分はいったい何のために修行しているのか」という根本的な問いに、答えが出なかったのです。

エリートコースを20年も走り続けた末に、「自分には無理だった」と認める。これ、今の僕たちに置き換えれば、大手企業でキャリアを積んできた人が、ある日突然「自分はこのシステムには適応できない」と白旗を上げるようなものですね。

比叡山を下りた親鸞が向かったのは、法然(ほうねん)のもとでした。法然は当時、「念仏さえ唱えれば、誰でも救われる」という教えを説いていた僧侶です。親鸞はここで、自分が長年求めていた答えに出会います。

コケ丸
コケ丸
20年も修行してダメだったのか。それはへこむな
よしたか
よしたか
でもそこが親鸞の面白いところなんだよ。その絶望が、まったく新しい思想の出発点になるんだ

「僧侶」という肩書きを捨てた自由

法然の弟子になった親鸞は、やがて大きな試練を迎えます。

1207年、法然と親鸞は朝廷によって流罪にされます。念仏の教えが既存の仏教勢力から危険視され、弾圧を受けたのです。法然は土佐へ、親鸞は越後(現在の新潟県)へ流されました。

このとき親鸞は35歳。エリートコースを歩んでいたはずの人生が、突然どん底に落とされた瞬間です。ところが親鸞は、この流罪を嘆くどころか、こんな言葉を残しています。

「流罪は、むしろ恵みだった。これで自分は僧侶でも俗人でもない、非僧非俗(ひそうひぞく)の存在になれた」

僧侶という肩書きを剥奪されたことで、親鸞は逆に自由になったのです。流罪先の越後で、彼は妻を娶り、家族を持ちました。庶民の中に混じって生きることを選んだのですね。当時、僧侶が妻を持つことは、完全なタブーでした。でも彼はあえてそれをしました。

「自分は立派な修行者なんかじゃない。欲もあれば怒りもある、普通の人間に過ぎないんだ」

親鸞にとって、それは「自分は特別な修行者」ではなく、「弱さを抱えた普通の人間として生きる」という宣言でもあったのです。

「悪人正機」という、常識の逆転

親鸞の思想の中で最もラディカルなのが、「悪人正機(あくにんしょうき)」という考え方です。

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

ひと言で言えば、「善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずがない」という主張です。

これを最初に聞くと、「悪いことをしたほうが得なのか」という誤解が生まれますが、そういう話ではありません。

親鸞が言う「悪人」とは、道徳的に悪いことをした人ではありません。自分の力ではどうにもならない弱さや煩悩を抱えた普通の人です。そして「善人」とは、「自分の力で修行して悟りを開けると信じている、自信満々な人」のことを指しています。

親鸞はこう言います。自力で悟れると思っている人は、他力(阿弥陀仏の力)に頼る必要性を感じていない。でも自分の限界を知り、「自分にはどうにもならない」と気づいた人こそ、他力にすがる。だから、悪人こそが救いの本来の対象なのだ、と。

コケ丸
コケ丸
つまり、完璧を目指してる人より、自分の弱さを認めた人のほうが強いってこと?
よしたか
よしたか
そういうことだよ。自分の限界を認めることが、むしろ出発点になるという発想なんだ

ビジネスに引きつけると、見えてくること

この「悪人正機」の発想、現代のビジネスに引きつけると、かなり面白い示唆があります。

ひとつ目は、「完璧を装う人より、弱さを認められる人のほうが信頼される」という話です。

ビジネスの現場では、自分のミスや限界を認めることをためらう人が多いです。「できます」と言い続け、できなかったときに言い訳をする。でも長く仕事をしていると、そういう人への信頼は徐々に失われていく。逆に「これは自分には難しい」「ここまではできるが、ここからは助けが必要だ」と言える人は、周りから信頼されやすいんですね。

親鸞が20年の修行の末に「自分には無理だ」と認めたことが、新しい思想の出発点になったように、自分の限界を正直に認めることが、新しい信頼関係の出発点になることがあります。

ふたつ目は、「自力でなんでもやろうとする人ほど、折れやすい」という話です。

長くフリーランスをやってきて感じるのですが、「すべて自分でやらなければ」と思っている人ほど、ある時点で急に燃え尽きてしまうことがあります。逆に、うまく人に頼れる人、他力を借りられる人のほうが、長く続けられます。

実は僕、イラストレーターを20年以上名乗りながらAdobe「Illustrator」をほとんど使えません。なのでai形式(Illustratorで作成されたベクターデータ形式)での納品を希望されたときは他のクリエイターの方にお願いして、psd形式のラスターデータをベクター化してもらったりしています。

会計も大の苦手。お金の計算をすると何故か頭痛がしちゃうんですよね。毎年確定申告の季節になると憂鬱だったので、フリーランスになってかなり早い段階で人に任せることにしました。一人で全部やろうとしたら未だに2月が憂鬱だっただろうし、作業的にもパンクしてしまっていたと思います。

親鸞が「他力」と呼んだものは阿弥陀仏を指しますが、現代のビジネスに置き換えれば、チームワークであり、人脈であり、専門家への依頼だと言えそうです。

なので「他力本願」とは「もっぱら他人の力をあてにすること」「人任せ」「他人依存」というネガティブな意味ではなく、現代のビジネスシーンにおいては「自分の限界を認識し、他者のスキル・時間・情報を積極的に活用するレバレッジ戦略」と言うポジティブな意味合いで捉えられると思います。

「弟子を一人も持たない」という組織論

親鸞にはもう一つ、現代のリーダーやマネージャーに知ってほしい驚くべきエピソードがあります。

あれほど多くの信者がいたにもかかわらず、親鸞は生涯、「自分には弟子は一人もいない」と言い切ったんです。

「みんな、阿弥陀仏という大いなる存在に導かれている仲間であって、私の弟子ではない」という考え方だったんですね。

教祖と信者という上下関係ではなく、同じ道を歩む「同行(どうぎょう)」である、というフラットな関係性。これ、今の時代に求められている「ティール組織」や「自律分散型組織」の考え方に通じるところがあるように思います。

イラストレーターの世界でも、師匠と弟子の封建的な関係より、お互いをプロとして尊重し合う仲間意識がある現場の方が、良いものが生まれる気がします。

83歳の絶縁状 ― 最後まで「不完全」だった人生

親鸞は流罪が許された後も、京都に戻らず関東で布教を続けました。60歳を過ぎてから京都に戻り、そこで90歳近くまで書き続けた。主著『教行信証』の執筆は、亡くなる直前まで続いていたと言われています。

彼の人生は、決してハッピーエンドだけではありませんでした。83歳のとき、自分の教えを勝手に歪めて広めていた息子の善鸞(ぜんらん)を、泣く泣く絶縁しています。

この事件は、親鸞にとって人生最大の悲劇だったでしょう。でも彼は、その苦しみを抱えたまま、書くことをやめなかったのです。

自分の弱さを認めながら、煩悩を抱えたまま、それでも前に進み続けた人。親鸞の生涯は、そのひと言に尽きるような気がします。

「自分は完璧ではない」が、出発点になる

親鸞の思想を現代に引き寄せると、こんなことが言えると思います。

自分の弱さや限界を認めることは、敗北ではありません。それは、正直に自分を見つめることのできる強さです。そして、その正直さの上に、本当の信頼関係が生まれるのです。

20年間修行して「自分には無理だ」と気づいた僧侶が、その気づきから日本の仏教を変えました。彼を宗祖とする「浄土真宗」は日本の仏教の最大宗派となり、全体の48%を占めています(出典:文化庁『宗教年鑑』)。弱さを認めることが、どれだけ大きな力になるか。親鸞の生涯は、そのことを静かに教えてくれている気がします。

よしたか
よしたか
以上、親鸞に学ぶ「弱さを認める」仕事術にまつわるお話でした

おしまい。

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。