人はなぜルールを必要とするのか ― ホッブズ『リヴァイアサン』を仕事論として読む
「自由にやっていいですよ」が、なぜか一番怖い
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
フリーランスを20年やってきて、いまだに少し身構えてしまう言葉があります。
「細かいことは決まってないので、自由にやってください」
一見、ありがたい話です。信頼されている感じもします。でも経験上、こういう案件ほど後で揉めます。納期の認識がずれ、修正が無限に増え、「言った言わない」が始まる。相手が悪人だからではありません。お互い善意のまま、関係だけが壊れていくのです。
なぜ、ルールがないと善人同士でも揉めるのか。
この問いを、理詰めで解いた人物がいます。17世紀イギリスの哲学者、トマス・ホッブズ。「恐怖と双子で生まれた」と自称した男です。
恐怖とともに生まれ、恐怖から逃げ続けた91年
1588年、イングランド。この時代、「スペインの無敵艦隊が攻めてくるのでは」という恐怖が国中を覆っていました。その恐慌の中、ホッブズの母は予定より早く産気づき、彼を産み落とします。ホッブズは後年、これを「母は私と恐怖を双子として産んだ」と表現しました。
そしてこの言葉は、冗談では終わりませんでした。
彼が生きた17世紀のイングランドは、国王と議会が武力衝突し、内戦で同胞同士が殺し合い、ついには国王チャールズ1世が公開処刑されるという、秩序が根底から崩壊した時代です。
ホッブズ自身、身の危険を感じてフランスへ亡命し、亡命先で書いた『リヴァイアサン』が今度は王党派の怒りを買い、また命の危険にさらされます。無神論者の疑いをかけられ、晩年には、政治や宗教に関する著作の出版を制限されることにもなりました。さらに死後、彼の著作は公に焼かれるほど、危険な思想として扱われたのです。
つまりホッブズの哲学は、書斎の空想ではありません。「秩序が壊れると人間はどうなるか」を、目の前で見続けた人間の記録です。
ちなみに彼は、その恐怖だらけの人生を91歳まで生き抜きました。当時としては驚くほどの長寿です。晩年もテニスを楽しみ、90歳を過ぎて古典の翻訳を出版しています。恐怖を見つめ続けた男が、誰よりもしぶとく生きたというのは、なんだか痛快な話ですね。
「万人の万人に対する闘争」は、悪人の話ではない
ホッブズの思想の核心に、有名な思考実験があります。
国家も法律も警察もない世界に、人間を置いたらどうなるか。
ホッブズの答えは「万人の万人に対する闘争」。有名な言葉ですね。全員が全員と争う状態になる、というものです。
ここで多くの人が誤解します。「人間の本性は悪だと言いたいのか」と。違うのです。ホッブズの議論はもっと恐ろしく、善人だけを集めても、闘争は起きるという話なのです。
理屈はこうです。ルールがない世界では、相手が約束を守る保証がどこにもありません。すると、自分は誠実なつもりでも「相手は先に裏切るかもしれない」と考えざるを得ない。相手も同じことを考えます。お互いが「裏切られる前に動いたほうが安全だ」と判断した瞬間に、善意の人間同士が争い始める。
悪意ではなく、不安が戦争を生む。これがホッブズの発見でした。
ホッブズはこの状態の人間の生活を、こう描写しました。「孤独で、貧しく、不潔で、粗暴で、そして短い」。ルールなき自由の正体は、楽園ではなく、全員が疲弊する消耗戦だと説いたのですね。
リヴァイアサン ― 人々は怪物を「発明」した
では、どうすればこの消耗戦から抜け出せるのか。
ホッブズの答えが、主著『リヴァイアサン』(1651年)です。リヴァイアサンとは旧約聖書に登場する海の怪物の名前です。FFシリーズを愛好している方なら知らない人はいない名前ですね。
この本の有名な表紙には、無数の小さな人間たちが集まってひとりの巨大な王の身体を形作っている絵が描かれています。
この絵が示すのは、国家とは自然に存在するものではなく、人間が恐怖から逃れるために発明した人工物だ、という思想です。
みんなが「殴る自由」「奪う自由」を少しずつ手放して、共通のルールに預ける。その預かり先として生まれた巨大な約束の束が、国家でありリヴァイアサンです。この考え方は、のちに「社会契約説」と呼ばれる思想の源流になりました。
ここで大事なのは順番です。ルールは自由を奪うために生まれたのではなく、「裏切られるかもしれない」という不安を消すために生まれたんですね。不安が消えるから、人は安心して働き、眠り、明日の計画を立てられる。ホッブズにとってルールとは、自由の敵ではなく、自由が育つための土壌でした。
仕事の世界は、毎日が小さなリヴァイアサン作り
この視点で仕事を見直すと、風景が変わります。
契約書、見積書、納期の確認、修正回数の上限。こうした取り決めを「堅苦しい」「相手を疑っているようで気が引ける」と感じる人は多いと思います。僕も昔はそうでした。
でもホッブズ的に言えば、これは完全に逆です。
取り決めがない状態こそ、お互いが「相手はどこまでやってくれるのか」「後から無茶を言われないか」という小さな不安を抱え続ける、ミニ闘争状態です。逆に、最初に条件を固めてしまえば、その不安ごと消えます。契約書とは相手への不信の表明ではなく、お互いの不安を預ける小さなリヴァイアサンなのです。
「自由にやってください」という案件が怖いのは、この預け先がないからです。自由に見えて、実際には声の大きい側、立場の強い側が勝つだけの無秩序が待っているんですね。
ルールを決めることは、信頼の放棄ではなく、信頼の土台工事である。ホッブズが内戦の血の中から掴んだこの逆説は、見積書一枚のやり取りの中に、今も生きています。
最後に ― ただし、怪物は太らせすぎない
ひとつだけ、注意書きを添えます。
ホッブズは強大な主権を擁護しましたが、現代の僕たちは、強すぎるリヴァイアサンの危険も知っています。ルールが人を守るためではなく、人を縛るためだけに膨らんでいくと、今度は組織が窒息します。形骸化した承認フロー、誰のためかわからない社内規定。あれはリヴァイアサンの肥満です。
ルールがなければ不安で消耗し、ルールが多すぎれば窒息する。ちょうどいい大きさの怪物を飼うこと。それが、ホッブズが現代の僕たちに残した宿題なのだと思います。
恐怖と双子で生まれた男は、恐怖を消す方法を人類に示して、91歳まで生きました。彼の答えは、勇気でも根性でもなく、「約束の仕組みを作ること」でした。
安心は、待っていても訪れません。それは設計するものなんですね。
おしまい。








