蒸気と歯車に魅せられて ― スチームパンクの歴史とアトリエ紹介
スチームパンクの源流とアトリエの紹介
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
突然ですが、「スチームパンク」という言葉を聞いたことがありますか。
ゴーグルをつけた探偵、蒸気機関車での追跡劇、歯車だらけの巨大な機械都市。電気ではなく蒸気で動く飛行船。そんな世界を、どこかで目にしたことがある人もいるかもしれません。
僕はこの世界観が昔から好きで、気がついたらアトリエ(仕事部屋)までそんな空気に染まっていました。好きなものを少しずつ集めているうちに、歯車と古い機械の気配が、部屋のあちこちに住みついていったのです。スチームパンカーにはそういう人は少なくないと思います。
なぜ、蒸気機関の時代でもない僕たちが、いまだに歯車や古い機械に惹かれるのでしょうか。今日はそのスチームパンクという世界を、歴史をたどりながら少し考えてみたいと思います。
「スチームパンク」という言葉の誕生
スチームパンクという言葉が生まれたのは、1980年代後半のことです。
もともとはアメリカのSF作家K・W・ジーターが、仲間の作家たちの作品群をまとめて呼ぶために提案した造語だとされています。当時「サイバーパンク」という退廃的な近未来ジャンルが流行していて、その語感をもじって「スチームパンク」と名付けました。最初はやや洒落っ気のある呼び名でしたが、やがてジャンル名として定着していきました。
ざっくり言えば、「蒸気の時代」を舞台にした反骨的な空想世界、くらいに考えると雰囲気がつかみやすいかもしれません。
ただ、言葉ができたのは1980年代でも、その発想の土台はもっと古い時代にあります。
源流は19世紀の夢にある
スチームパンクの精神的な源流は、19世紀のヴィクトリア朝イギリスに遡ります。
ヴィクトリア女王が統治したこの時代(1837〜1901年)は、産業革命と帝国主義により大英帝国の黄金期とされていた時代です。蒸気機関が世界を変え、鉄道が大陸を結び、工場が都市を煙で覆っていた時代でした。科学と機械への熱狂と、その裏側にある不安が共存していた時代とも言えます。
1851年の第1回ロンドン万国博覧会は、その象徴です。ハイドパークに建てられたガラスと鉄骨の巨大建造物「水晶宮」に、世界中の最新技術が集まりました。「文明は進歩する」という確信が社会全体を覆っていたんですね。
この時代に、ジュール・ヴェルヌが「海底二万里」や「八十日間世界一周」を書き、H・G・ウェルズが「タイムマシン」や「宇宙戦争」を書きました。現実の技術革新が人々の想像力を刺激し、「機械があれば何でもできる」という夢と、「機械に人間が支配される」という恐怖が入り混じっていました。
スチームパンクはこの19世紀の夢想を、現代の目線で再解釈したジャンルなのです。
僕はこの120年ほど前の世界が好きで、科学技術が人を一番わくわくさせていた時代だったと思うんです。目に見えて生活が変わっていく中で人はどんな未来を予測したんだろうか…と。第一次大戦前夜、ある意味牧歌的な時代。
スチームパンクの世界は、電力よりも蒸気機関が高度に進化した「もしもの世界」です。蒸気機関は夢の動力ですが、煤煙による大気汚染が深刻で、ゴーグルが目を守る実用的アイテムとして普及している設定もリアルだと思います。レトロなガスマスクや革職人トム・バンウェルが作り出す世界観などは最高に素敵ですね。
言葉の前にあった作品たち
前述した通り、「スチームパンク」という言葉が生まれる前から、その世界観を持つ作品が存在していました。
K・W・ジーター自身の『Morlock Night』(1979年)、ティム・パワーズ『アヌビスの門』(1983年)、ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』(1986年)。これらは後にスチームパンクと呼ばれる世界観を先取りしていた作品として知られています。
つまりジャンル名とは、作品が先にあって、あとから名前がつくものなのですね。
その後、スチームパンクは映画、ゲーム、ファッション、インテリアへと広がっていきました。日本の人にとっては、『天空の城ラピュタ』や『ハウルの動く城』あたりに、その空気を感じる人も多いかもしれません。日本でも独自のスチームパンク文化が育ち、イラスト、コスプレ、ガジェットの世界で多くのファンを生み出しています。
アトリエの紹介
僕がスチームパンクの世界観を好きになったのは、いつからかはっきりとは覚えていません。気づいたら好きになっていた、という感じです。
歯車のモチーフに惹かれます。古い機械の質感にも弱い。蒸気で動く乗り物の、あの少し大げさなシルエットもたまりません。そういうものを少しずつ集めているうちに、仕事部屋もだんだんそんな雰囲気になっていきました。
4枚のモニターが並ぶデスクの脇にバイオリンが立てかけてあり、本棚にはヴィクトリア朝時代の図版集や歴史書が並んでいます。T型フォードのモデルカーが棚の隅に置いてあって、照明はランプの灯を意識して暖色系に統一しています。
機能的にはデジタル機器が主役の作業環境ですが、そこにアナログの手触りのあるものが混じっているのが、なんとなく落ち着く感じがあります。絵を描く仕事をしていると、デジタルとアナログの間をいつも行き来しているような感覚があって、それがこの部屋の雰囲気と重なるのかもしれません。キーボードもタイプライター風のものを使用しています。
ちなみに板タブを使い続けているのも、ある意味でスチームパンク的な選択かもしれません。液晶タブレットが主流の今、あえて板タブを使うのは、身体への負担を考えてのことです。直感的ではないけれど、長く使い続けるための工夫という意味では、19世紀の職人が道具を選ぶ感覚と、どこか似ているような気がします。
スチームパンク風ペン立てにアンティーク風ランプ。電話機もレトロに見えますが、実はIP電話対応プッシュホンでして、いつもこれで仕事のやり取りをしています。
中世ヨーロッパのヴンダーカンマー(驚異の部屋)と呼ばれるものも好きで、骨格標本なども飾っています。ヴンダーカンマーとは大航海時代、いかに遠くへいって珍しいものを持って帰ってきたかが誇らしかった時代に珍品、科学機器、剥製、骨格標本などを無秩序に密集させた部屋で、世界の縮図を表していました。こうして小さな博物館を自宅に作っては来客をもてなしていたんですね。
シェルフはガーデニング用のアイアンシェルフを使用しています。ウェーブの効いたデザインがアールヌーボー感があって好きです。額にはアルフォンス・ミュシャ。下の棚にはゴヤやシャガール、ムンクやロックウェルなどの画集を並べています。奥にあるのは本棚と30年来の付き合いがあるサンバーストのアコースティックギター。
書斎テーブルの上に浮かぶのは飛行機の木製模型群。オットー・リリエンタールのA005標準機をはじめ、鳩をモチーフに作られたエトリッヒ・タウベ(後の爆撃機)、アルバトロスD.III(後の戦闘機)へと続きます。
アルバトロスD.IIIは第一次世界大戦ではドイツの撃墜王レッドバロンことリヒトホーフェンが乗っていたことで有名になった飛行機ですね。オットー・リリエンタールが空飛ぶ夢を見て、ライト兄弟が初飛行を成功させてからわずか13年後にこんな戦闘機が開発されたそのスピード感には驚きを禁じ得ません。
飛行機の黎明期から戦闘機に至るまでの歴史をこの3機で表現しています。これは、せっかくの技術も使い方を誤ると不幸を生み出すという歴史から自戒にもなっています。たとえばこの絵を描くことで誰かを傷つけてやしないかという自問にも繋がっているんですね。
最後に紹介するのは来客用ロココ調ソファ。遊びに来てくれた人にはもれなくこれに座っていただいてます。結構好評です。
便利になるほど、人は手触りを求める
スチームパンクが今も新しいジャンルやファンを生み出し続けているのは、なぜでしょうか。
ひとつ思うのは、時代が便利になればなるほど、人は「手触りのあるもの」を求めるのではないかということです。
デジタル化が進み、あらゆるものが効率化され、物理的な質感が失われていく時代に、蒸気と歯車と錆の匂いがするような世界観が輝いて見える……。それは単なる懐古趣味ではなく、「人間の手が関わっているもの」への本能的な引力のような気がします。
ヴィクトリア朝の人々が「機械があれば何でもできる」という夢を見た頃、その機械はまだ人間の手で作られた、温度のある存在でした。歯車のひとつひとつに職人の技があり、蒸気機関には設計者の思想がありました。
その「人間の手の痕跡」が見えるところに、スチームパンクの美学は宿っているのかもしれません。
技術がどれだけ進歩しても、スチームパンクへの憧れが消えないとしたら、それは人間が「手触り」と「不完全さ」の中に、何か大切なものを感じているからではないでしょうか。
僕の部屋の片隅でT型フォードのモデルカーが静かに存在しているのも、たぶんそういうことなんだと思います。
おしまい。
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