現代人はなぜ「今ここ」に戻れないのか

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

日々、スマートフォンを開くと、何かしらの通知が届いていませんか。SNSを見ると、誰かが成功しているのを目にするし、仕事を終えても、明日の締め切りが頭から離れず、休んでいるはずなのに、気がついたら昨日の失敗や明日への不安を考えているってこと、ありませんか。

情報過多・ストレス過多・集中力の分散という環境に置かれている現代人の意識は「過去の後悔」や「未来の不安」に引っ張られがちです。大切な「今ここ」に、なかなか気づけないんですね。

そんな時代に注目されているのが、マインドフルネスです。ビジネス書やメンタルケアの言葉としてよく聞くようになりましたが、その源流をたどると、約2500年前の仏教にある「サティ」という実践に行き着きます。

これは最近生まれた流行ではありません。人間がずっと抱えてきた苦しみに向き合うための、古くて新しい知恵なのだと思います。

コケ丸
コケ丸
マインドフルネスって、なんか意識高い人がやってる瞑想ってイメージがあるな
よしたか
よしたか
わかる。でも元をたどると、かなり古い仏教の実践なんだよね。しかも、ただリラックスするためのものでもないんだ

マインドフルネスの源流 ― 仏教の「サティ」

マインドフルネスの源流は、上座部仏教の「サティ(sati)」という概念にあります。パーリ語で「」と訳されることが多い言葉ですが、「念じる」というよりも、「今起きていることに気づいている状態」に近いものです。八正道における「正念」に当たる思想ですね。

呼吸、身体の感覚、感情、思考。それらを良い悪いで判断せず、「いま、こう感じている」と静かに観察するというテクニックなんです。

たとえば、怒りが湧いたときに、ちゃんと「いま自分は怒っている」と気づく。不安が出たときに、きちんと「いま不安を感じている」と気づく。痛みがあるときに「いまここに痛みを感じている」自分に気づくということですね。

それは感情や痛みを消すことではなく、それに飲み込まれすぎないための態度でした。

コケ丸
コケ丸
無になるのがマインドフルネスなのか?
よしたか
よしたか
そこが誤解されやすいんだよ。無になるというより、「今、自分の中で何が起きているかに気づく」という感じに近いと思う

仏教では、なぜ「気づき」が大事だったのか

仏教の大きなテーマは「」です。人間は欲望、執着、不安、怒りに振り回される。その心の動きを観察することが、苦しみから自由になる第一歩だと仏教は考えました。

ただしここで注意したいのは、仏教の目的は単に心を落ち着かせることではなかった、という点です。自分の心が何に執着し、何に反応し、何に苦しんでいるのかを見つめること。そのための実践として、サティは重要な位置を占めていました。

この実践はブッダの時代から2500年以上、アジア各地で僧侶たちに受け継がれてきました。それが現代の医療や心理学の世界に入ってくるのは、20世紀後半のことです。

ジョン・カバットジンが現代医療に翻訳した

マインドフルネスを現代に持ち込んだ人物として外せないのが、ジョン・カバットジンです。

マサチューセッツ大学の医学部教授だった彼は、1970年代末に仏教の瞑想実践を宗教色の薄い形に整え、医療の現場に持ち込みました。これが「MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)」です。

慢性的な痛みやストレスを抱える患者に対して、8週間のプログラムとして実施されたMBSRは一定の効果をあげました。その後、慢性的な痛みやストレスへの補助的なアプローチとして研究され、医療機関や企業、教育現場などにも広がっていきました。

ここで起きたのは、宗教の輸入ではなく、実践の翻訳でした。仏教の中にあった「気づき」の技術を、現代の医療や心理学の言葉に置き換えたのです。仏教徒でなくても使える形にしたことが、マインドフルネスを世界に広めた鍵でした。

マインドフルネスは「リラックス法」ではない

マインドフルネスについてよくある誤解があります。「瞑想してリラックスする方法」「無になる練習」「ポジティブになるための技術」というイメージです。

でも、そうではないのです。

マインドフルネスは、心を空っぽにする技術ではありません。心の中で何が起きているのかに、少し距離を取って気づく技術です。

不安があることに気づく。痛みがあることに気づく。怒りがあることに気づく。考えすぎている自分に気づく。

嫌な感情を消すのではなく、「いま自分はこういう状態にある」と認識すること。それによって、感情や痛みに完全に飲み込まれるのではなく、少し距離を保てるようになる。これがマインドフルネスの核心です。

その本質を知るのに一番オススメの本はジョン・カバットジンの「マインドフルネス ストレス低減法」です。8週間のプログラムについても詳しく触れられていて、実践すると一生ものの技術になりえます。僕自身、この本にはかなり助けられました。マインドフルネスの本質を知るうえで、一番信頼できる一冊だと思っています。

逆に、巷にあふれるマインドフルネス講座の中には、本質からズレた方法を伝授している講師もちらほらみかけるので注意が必要です。「頭のてっぺんからチャクラを開いて…」とか「宇宙と一体化するのです…」とか語りだしていたら「これは違うな」と思って良いと思います。

少なくともカバットジンが広めたマインドフルネスは、そうした神秘体験を目的にしたものではありません

マインドフルネスとスピリチュアルは本来対極にある概念なのですが、残念なことに混ぜたがる人が一定数いるのです。

痛みと不安に飲み込まれそうだった時期のこと

ここで少し、僕自身の体験談をお話します。

2020年、新型コロナの世界的パンデミックが起こりました。テレビニュースはコロナ報道一色となり、キー局のニュース番組でイラストを担当していた僕は大忙しとなりました。コロナとは何か?どういう症状がでるのか?どういう経緯で重症化するのか?PCR検査とは何か?アビガンは有効なのか?マスクとフェイスシールドの効果は?等々、イラストで説明する日々が続いたのです。一日18時間くらい仕事する日々が続いていたと記憶しています。

そんなオーバーワークが続いていたある日、右腕に違和感を覚えました。違和感はまもなく激痛を伴うようになり、右肩から指先まで、マウスのダブルクリックもできないほどの痛みが走るようになり、ペンを握るのが困難な中、仕事を続ける日々が始まりました。絵を描くことが仕事のイラストレーターにとって、これはかなり深刻な事態でした。

整形外科では「頸肩腕症候群」と診断され、理学療法士によるリハビリ、接骨院での鍼灸、ストレッチ、マッケンジー法、湯治等、様々な治療法を試しましたが、1年半ほどの間、痛みに苦しむ日々でした。痛みそのものよりもきつかったのは、「まだ悪くなるかもしれない」「このまま治らないかもしれない」という不安が、頭の中をぐるぐると繰り返すことでした。

そのとき出会ったのが、ジョン・カバットジンのマインドフルネスでした。

それで痛みがすべて消えた、という話ではありません。でも「痛い」「不安だ」「また悪くなるかもしれない」という思考を、自分そのものと同一化しなくてよくなった感覚がありました。痛みや不安に支配される時間が、少しずつ減っていったんです。

具体的に言えば、頭をぐるぐる駆け巡る「こんな痛みが続くくらいなら今すぐ死んだほうがマシだ」という考えが、「たったいま、どの程度痛いのか」「10段階でいえば何くらいか」「それは死ぬ苦しみとくらべてどうか」「今日は昨日とくらべてどの程度の痛みなのか」と冷静に見つめることで、「いやまあ、たしかに痛いことは痛いけど、死んだほうがマシというほどではないな」と気付けたということがありました。

「痛みがある」と気づく。「不安がある」と気づく。ただそれだけのことが、こんなにもストレスの低減の助けになるとは思っていませんでした。

コケ丸
コケ丸
マウスのダブルクリックもできないって、イラストレーターにとっては致命的じゃないか
よしたか
よしたか
そうなんだよ。痛みより、先の見えない不安のほうがきつかったかな。そこにマインドフルネスは、治すというより「飲み込まれない」ための考え方として大きな支えになったんだ

なぜ現代人に刺さるのか

現代人の心が疲れやすい理由のひとつは、「今ここ」にいられないことにあるのかもしれません。

まだ起きていない失敗を心配する。過去のミスを何度も思い返す。他人の成功と自分を比べる。休んでいるのに仕事のことを考える。通知が来るたびに意識が散る。

これらはすべて、意識が「今ここ」ではなく「過去」や「未来」や「他人」に向かっている状態です。

2500年前の人も、不安、怒り、執着、痛み、死への恐れを抱えていました。人間の心の構造は、それほど変わっていないのかもしれません。だから「今ここに気づく」という技術は、今も意味を持つのです。

マインドフルネスは、現代人のストレスを全部解決する魔法ではありませんが、「今、自分は考えすぎている」と気づく入口にはなります。その小さな気づきが、思考の渦に飲み込まれる一歩手前で、自分を取り戻す助けになることがあると、自身の体験からもそう思います。

仕事論として読むマインドフルネス

仕事に引き寄せて考えてみます。

仕事が忙しい時、忙しい事そのものより怖いのは、自分がその忙しさに飲み込まれていることに気づけなくなることです。

焦っている自分に気づく。怒りながら返信しそうな自分に気づく。無理をしすぎている自分に気づく。休むべきタイミングに気づく。そして目の前の作業に戻る。そういう効果があると思います。

マインドフルネスは、効率化の道具というより、仕事に飲み込まれないための姿勢です。企業研修や教育現場でマインドフルネスが取り入れられるようになったのも、生産性だけでなく、判断力や集中力を保つための実践として注目されたからだと思います。

忙しくてマインドフルネスなんかを実践しているヒマがないよ」という意見も聞いたことがあるのですが、マインドフルネスは時間、場所を問わず、やろうと思った時どこででもできます

例えば電車での通勤中、暇だなーと無意味にスマホを操作するより、目をつぶってマインドフルネス、打ち合わせまで時間ができたらカフェに入ってコーヒーを前にマインドフルネス、病院の待合室で番号を呼ばれるまでマインドフルネス、駅まで歩きながらマインドフルネス、気晴らしの散歩中にマインドフルネス、なかなか寝付けない夜にマインドフルネス……いくらでも機会はあるのです。

実際、僕自身も日常の中でそうしています。
そうすると、人生の中の「ちょっとした待ち時間」が、ただの暇ではなく、自分を整える時間に変わっていくんですよ。

コケ丸
コケ丸
歩きながら瞑想……?!そんなことできるのか
よしたか
よしたか
できるよ。「歩く瞑想(ウォーキングメディテーション)」というんだ。座って目を閉じるだけが瞑想ではなくて、歩く感覚や呼吸に意識を向ける方法もあるんだよ。もちろん周囲に注意しながらだけどね

最後に ― 古くて新しい「自分に戻る技術」

マインドフルネスという言葉は新しく聞こえますが、その核にある「今ここに気づく」という実践は、2500年前の仏教の実践の中で磨かれ、受け継がれてきたものでした。

仏教の僧侶たちが瞑想の中で培ったものを、カバットジンが現代医療の言葉に翻訳し、今では世界中のオフィスや病院や学校で使われています。

宗教から医療へ、瞑想からストレスケアへ。形は変わっても、人間の心が「今ここ」から離れやすく、それに苦しむという事実は変わっていません。だからこそ、この実践は2500年生き残ってきたのだと思います。

マインドフルネスとは、現代人のために急に生まれた流行ではなく、人間がずっと抱えてきた苦しみに向き合うための、古くて新しい知恵なのだと思います。

よしたか
よしたか
以上、マインドフルネスの歴史にまつわるお話でした

おしまい。

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。