なぜ大人は世界に驚けなくなるのか ― レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』を読む
最後に「うわあ」と声が出たのは、いつですか
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
皆さんに、ひとつ質問です。
最後に、何かを見て思わず「うわあ」と声が出たのは、いつでしょうか。
夕焼けでも、虹でも、雨上がりの匂いでも構いません。子どもの頃は、水たまりひとつ、かたつむり一匹で足が止まったはずです。それがいつからか、通勤路の空を見上げることもなくなり、季節の変化は「衣替えのタイミング」という実務情報になり、雨は「洗濯物が乾かない障害」になりました。
世界は何も変わっていないのに、驚けなくなったのは僕たちのほうです。
この「大人になると失われる驚く力」に名前をつけ、その大切さを訴えた人がいます。レイチェル・カーソン。彼女はその力を「センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)」と呼びました。
そして面白いのは、この言葉を残したのが、のんびりした詩人ではなく、世界中の化学業界を敵に回して戦った、闘う科学者だったことです。今日はその話をします。
レイチェル・カーソンについて
レイチェル・カーソンは1907年、アメリカ・ペンシルベニア州の田舎町に生まれました。少女時代は森と川が遊び場で、母親から自然の見方を教わって育ちます。
大学では文学を志していましたが、生物学の授業に魅了されて進路を変更。海洋生物学者となり、アメリカ漁業局で働きながら文章を書き続けました。海の生命を詩のような筆致で描いた『われらをめぐる海』(1951年)がベストセラーになり、作家としての地位を確立します。科学の正確さと文学の美しさを両立できる、稀有な書き手でした。
そんな彼女の人生を大きく変えたのが、1962年の『沈黙の春』です。
当時、DDTをはじめとする農薬が「魔法の薬」として空から大量散布されていました。カーソンは膨大な調査をもとに、その化学物質が食物連鎖を通じて生態系を破壊し、鳥の鳴かない「沈黙の春」が訪れると警告したのです。
化学業界は猛反発しました。「ヒステリックな独身女性」「共産主義者」。科学的な反論ではなく、人格攻撃の嵐が彼女を襲います。それでもカーソンは、議会の公聴会で静かに、データをもって証言を続けました。
このとき彼女の体は、乳がんに蝕まれていました。放射線治療を受けながら、かつらで脱毛を隠し、痛む体で証言台に立っていたのです。そのことを、彼女は最後まで公にしませんでした。「病人の感情論」として主張を割り引かれることを避けるためだったと言われています。
『沈黙の春』は世界を動かし、やがてDDTの使用規制、そしてアメリカ環境保護庁の設立へとつながっていきます。彼女は「環境保護の母」と呼ばれるようになりました。
しかしカーソン自身は、その変化を見届けることなく、1964年、56歳でこの世を去ります。
死後に一冊の本になった、小さな遺稿
『センス・オブ・ワンダー』は、カーソンの死後に出版された、彼女の最後のメッセージです。
もとになったのは、姪の息子ロジャーとの体験でした。カーソンは生涯独身でしたが、姪が若くして亡くなったとき、遺されたロジャーを引き取り、育てています。科学者として多忙を極め、自らも病と闘いながらの子育てでした。
その彼女が、幼いロジャーと過ごしたのが、メイン州の海岸の別荘です。
嵐の夜、彼女は毛布にくるんだロジャーを抱いて、真っ暗な海岸へ出ていきます。轟く波、飛び散るしぶき。普通の子育ての常識なら「危ないから家にいなさい」の場面です。でも二人は、大波が打ち寄せるたびに、一緒に声を上げて笑いました。
雨の森を歩き、地面のコケをルーペで覗き、「小人の森みたいだね」と語り合う。夜の浜辺で懐中電灯を消して、満天の星を見上げる。
カーソンはこの体験をもとに、こう書きました。子どもの世界はいつも生き生きとして新鮮で驚きに満ちている。しかし多くの人は大人になる前に、澄みきった洞察力や美しいものへの直感力を鈍らせてしまう、と。
そして、あの有名な一節が続きます。もしも私に力があるなら、世界中の子どもたちに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいと妖精に頼むだろう、と。
『沈黙の春』が世界への警告だったとすれば、『センス・オブ・ワンダー』は世界への遺言でした。自然を守れと訴えた人が、最後に残したのは「まず自然に驚いてほしい」という、祈りのような言葉だったのです。
「知ること」は「感じること」の半分も重要ではない
この小さな本の中で、カーソンは大胆なことを言っています。
「知ることは、感じることの半分も重要ではない」
科学者がこれを言うのだから、驚きます。彼女は続けます。子どもに昆虫や星の名前を教え込むことに、親は焦らなくていい。名前を知らなくても、一緒に驚き、一緒に美しいと感じることのほうがずっと大事だ。感じたことは、やがて知りたいという欲求を自然に連れてくるのだから、と。
順番が逆なのです。知識が先ではなく、驚きが先。
これは、僕の仕事の実感とも重なります。イラストレーターを20年やっていますが、絵の技術が伸びる時期というのは、たいてい何かに強く心を動かされた後に来ます。「この光、すごいな」「この構図、なんでこんなに格好いいんだ」という驚きが先にあって、それを再現したくて技術を調べる。驚きがない時期にいくら技法書を読んでも、身につきません。
インプットという言葉が流行っていますが、情報を摂取することと、心が動くことは別物です。カーソン流に言えば、心が動いていないインプットは、半分も重要ではないのです。
驚く力は、大人の武器でもある
「センス・オブ・ワンダーは子どものためのもの」と思われがちですが、僕はむしろ、大人の仕事にこそ効くと思っています。
考えてみると、企画も、発明も、研究も、出発点はすべて「あれ?」「なんで?」「すごい、どうなってるんだ?」という驚きです。ニュートンはリンゴの落下に驚き、コンテナを発明したマクリーンは港の非効率に「なんでこんなことしてるんだ」と引っかかりました。
驚けない人は、疑問を持つのが難しい。疑問を持てない人は、改善も発想もできないでしょう。驚く力は、感受性の問題であると同時に、仕事の生産性の根っこなのです。
そしてカーソンは、この力の取り戻し方まで教えてくれています。彼女の提案は、拍子抜けするほどシンプルです。
「もしも今まで見たことがなかったとしたら? と自分に問いかけてみること」
今夜の月を、生まれて初めて見るものだとしたら。毎日通る道の街路樹を、初めて見る植物だとしたら。この視点の切り替えだけで、見慣れた世界は一瞬で未知に戻ります。お金も道具もいりません。
最後に ― 驚く力は、生きる力の予備電源
カーソンは『センス・オブ・ワンダー』の中で、この感性がなぜ大切かについて、こんな趣旨のことを書いています。
地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、人生に飽きて疲れたり、孤独に苛まれることがあっても、必ず内面的な満足と、生きることへの新たな喜びへ通じる小道を見つけ出す、と。
驚く力とは、単なる情操の話ではなく、人生が苦しくなったときの予備電源なのだと、彼女は言っているのです。
実際、彼女自身がそうでした。業界から攻撃され、病に体を蝕まれながら、それでも彼女はロジャーと海岸を歩き、嵐に笑い、星を見上げることをやめませんでした。世界と闘い続けた人が、世界に驚き続けた人でもあった。この両立こそが、カーソンという人の凄みだと思います。
情報に疲れ、効率に追われ、雨を「障害」としか感じられなくなったとき。それは感受性の電池が切れかけているサインかもしれません。
そんなときは、思い出してください。「もしも、今まで見たことがなかったとしたら?」
その問いひとつで、世界は今日からでも、もう一度驚きに満ちた場所に戻るのです。
おしまい。







