老いることは不幸なのか ― キケロ『老年について』に学ぶ年齢の受け止め方
年を取ることは、失うことなのか
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
突然ですが、年を取ることは、失うことなのでしょうか。
体力が落ちる。若さがなくなる。見た目が変わる。仕事の勢いも、昔ほどは続かなくなる…。加齢と共に誰もが体験することだと思います。
現代では、老いはどうしても「衰え」や「終わり」と結びつけて語られがちです。アンチエイジングという言葉があるように、老いは「抗うべきもの」として扱われることさえあります。
しかし、今から2000年以上前の古代ローマに、老いをただの不幸とは考えなかった人物がいます。政治家であり、哲学者であり、ローマ史上最高の弁論家と呼ばれたキケロです。
キケロについて
マルクス・トゥッリウス・キケロは、紀元前106年、ローマ近郊の町アルピヌムに生まれました。
ちなみに「キケロ(Cicero)」という家名は、ラテン語で「ヒヨコマメ」を意味する言葉に由来すると言われています。先祖の鼻先にヒヨコマメのようなイボがあったから、という説が伝わっています。周囲から「その名前は変えたほうがいい」と勧められたとき、キケロは「いや、私はこの名前を、どんな高貴な家名よりも有名にしてみせる」と答えたと伝えられています。
そして実際、その通りになりました。2000年後の今も、世界中で「キケロ」の名は知られています。
キケロは名門貴族の出身ではありませんでした。地方の騎士階級の家に生まれ、弁論の才能ひとつでローマ政界を駆け上がり、紀元前63年には最高官職である執政官(コンスル)にまで上り詰めます。家柄ではなく実力で頂点に立った、当時としては異例の人物でした。
彼が生きたのは、共和政ローマ末期の激動の時代です。カエサル、ポンペイウス、アントニウスといった実力者たちが権力を争い、共和政という古い体制が崩れていく時代。キケロは共和政を守る側に立ち続け、栄光と挫折の両方を味わいました。
だからこそ彼の老年論には、机上のきれいごとではない、人生をくぐり抜けた人間の重みがあります。
『老年について』は、どん底で書かれた
『老年について』が書かれたのは紀元前44年頃、キケロが62歳のときです。
この時期のキケロは、人生のどん底にいました。政治の実権はカエサルに握られ、共和政のために闘ってきた自分の居場所はない。最愛の娘トゥッリアを亡くし、深い悲しみの中にいました。政治家としても、父親としても、失意の底にあった時期です。
その中でキケロは、猛然と執筆に向かいます。『老年について』もこの時期の作品です。
この本は、大カトーという実在した古代ローマの賢人を語り手にして、老いについて論じる対話篇の形式をとっています。そしてキケロは、老いが嫌われる理由を4つ挙げ、それにひとつずつ反論していくのです。
老いると活動できなくなる。体力が衰える。快楽を楽しめなくなる。死が近づく。
たしかに、どれも現代人にも身に覚えのある不安です。キケロはこの4つに、どう答えたのでしょうか。
老いても、人は社会の役に立てる
ひとつ目の不安は、「老いると仕事や活動から遠ざかる」というものです。
キケロは、老いた人間には老いた人間の役割があると考えました。
若者のように走り回ることはできなくても、経験にもとづいて判断することはできる。人に助言することもできる。全体を見て、軽率な決断を避けることもできる。
キケロは、大きな船を動かすとき、若者はマストに登り甲板を走り回るが、舵を握るのは経験を積んだ年長者だ、というたとえ話を使っています。船を動かしているのは、走り回る若者だけではない。静かに舵を握る者もまた、船を動かしているのです。
社会に必要なのは、体力だけではありません。思慮深さや経験もまた、重要な力なのです。
これは現代の仕事にも通じる話だと思います。年齢を重ねると、徹夜の突貫作業や勢いだけの挑戦は難しくなります。でもその代わり、トラブルの予兆を察知する力、無理な案件を見分ける力、若手に的確な助言をする力は、経験からしか生まれません。役割が変わるだけで、価値がなくなるわけではないのです。
体力の衰えは、すべてを奪うわけではない
ふたつ目の不安は、体力の衰えです。
ここでキケロは、強がりを言いません。年を取れば体力は落ちる。それは認めます。老いてなお若者と同じ体力を持てるなどとは言っていません。
ただし、体力の衰えがそのまま人間の価値の衰えを意味するわけではない、と言います。
力でできることが減っても、考える力、判断する力、見守る力は残ります。むしろ、若いころより深まるものもあるのです。
キケロは「大事業は肉体の力ではなく、思慮と人格と見識によって成し遂げられる」という趣旨のことを述べています。そしてこれらの力は、老年になっても失われないどころか、豊かになっていくものだと。
快楽から離れることは、不幸なのか
みっつ目の不安が、思想的には一番面白いところです。
老いると、食欲も性欲も享楽への欲も弱まっていく。普通に考えれば「楽しみが減る」わけで、これは不幸に思えます。
しかしキケロは、そこに別の見方を示します。
欲望が弱まることは、必ずしも不幸ではない。むしろ、欲望に振り回される苦しみから解放される面もあるのだ、と。
若いころの欲望は、楽しみであると同時に、苦しみの源でもあります。もっと欲しい、もっと認められたい、もっと楽しみたい。その渇望が、判断を狂わせ、身を滅ぼすことさえある。キケロは「快楽は思慮の敵である」とまで言っています。
その欲望の火が静まったとき、人は初めて、静かな楽しみに目を向けられるようになる。
老年には、静かな楽しみがある
では、その静かな楽しみとは何か。
『老年について』でキケロが熱を込めて語るのが、意外にも農業の楽しみです。
種をまき、季節を待ち、収穫を喜ぶ。ブドウの木が育ち、大地が恵みを返してくれる。すぐに結果が出るわけではないけれど、そこには時間とともに深まる楽しみがあります。キケロは、土に親しむ暮らしを老年の理想として、生き生きと描いています。
そのほかにも、読書、学び、友人との対話。キケロ自身、失意の日々の中で執筆と学問に没頭し、そこに救いを見出していました。
若さの楽しみが刺激だとすれば、老年の楽しみは味わいなのかもしれません。
死が近いことは、老いだけの問題ではない
よっつ目、最大の不安が、死の接近です。
ここでのキケロの答えは、静かで鋭いものです。死は老人だけのものではない、と言うのです。若者であっても、明日を保証されているわけではありません。むしろ若い死のほうが、自然の摂理に逆らう分だけ悲劇的だとさえ言います。
老いが死を意識させるのは事実です。しかし、それは同時に、残された時間をどう生きるのかを考えさせるものでもあります。
死を遠ざけて見ないようにするのではなく、死があるからこそ、今日の時間の使い方が問われる。そう考えると、死の接近は恐怖であると同時に、生き方を整えるきっかけでもあるのです。
老いを不幸にするのは、年齢そのものではない
そして、この本の核心はここにあります。
キケロにとって、老いを不幸にするのは、年齢そのものではありませんでした。
若いころから何を大切にして生きてきたのか。どんな楽しみを育ててきたのか。人とどんな関係を築いてきたのか。それが、老年の姿に表れるのです。
若さや刺激だけを頼りにしてきた人にとって、老いは大きな喪失になるかもしれません。しかし、学ぶこと、考えること、人と語ること、誰かの役に立つことを楽しみにしてきた人にとって、老いは別の豊かさを持つ時間になり得ます。
僕は今、若い頃に読んだ本から得た知見をこうしてブログで紹介しているわけですが、これがキケロのいう「静かな楽しみ」のひとつですね。たまに肯定的な感想や感謝を頂けるのですが、人の役に立てたと実感できることは、こんな楽しいことはないと思える体験です。
つまり老年は、それまでの人生の「答え合わせ」のような時間なのです。だとすれば、老いへの備えは、年を取ってから始めるものではなく、今日の生き方の中にすでに始まっていることになります。
これは、なかなか厳しい話でもあります。でも同時に、希望のある話だとも思います。今日、何を楽しみとして育てるか。それが数十年後の自分の豊かさを作っていくのですから。
50代を前にして、老いをどう受け止めるか
僕自身も、もう若さだけで押し切れる年齢ではなくなってきました。
徹夜で無理をするより、仕事を選ぶこと。勢いで受けるより、長く続けられる形を考えること。人の評価に振り回されるより、自分が何を大切にしたいのかを確認すること。
若いころには見えなかったものが、少しずつ見えるようになってきた気もします。
キケロの言葉で言えば、絵を描く体力や勢いは変わっていくとしても、何を描くべきか、どう仕事と向き合うべきかという判断は、経験とともに深まっていく。そう考えると、年齢を重ねることは、失うだけの過程ではないと思えてきます。
さっき書いたように、このブログも今になってようやく考えをまとめられるようになったわけですしね。
最後に ― 老いは、どう生きてきたかが表れる時間
老いることは、たしかに失うことを含みます。
体力は落ち、若いころのようには動けなくなり、できることも少しずつ変わっていきます。そこを美化するつもりはありません。キケロ自身も、老いの現実を否定してはいませんでした。
でも、それは人生が価値を失うことと同じではありません。
経験を重ねた人にしか持てない判断があります。欲望から少し距離を置いたからこそ見える静けさがあります。残された時間を意識するからこそ、大切にできるものがあります。
ちなみにキケロは、この本を書いた翌年、政治抗争の中で暗殺されます。63歳でした。『老年について』は、穏やかな老後を送った人の余裕の書ではなく、死の影が迫る激動の中で、それでも「老いには豊かさがある」と説いた書物なのです。そう思うと、この本の言葉の重みが、また少し変わって感じられます。
キケロ『老年について』は、老いを恐れる僕たちに、こう語りかけているようです。
年を取ることは、ただ衰えることではない。どう生きてきたかが、静かに表れる時間なのだ、と。
おしまい。








