富士山はなぜ「不死の山」と呼ばれたのか ― かぐや姫と月の物語
意外と知らない、かぐや姫が月へ帰った後の物語
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
秋になると、月見の季節がやってきます。ススキ、団子、満月。そして日本人が月と聞いて真っ先に思い浮かべる物語といえば、やはり『竹取物語』でしょう。
竹から生まれた小さな姫が、美しく育ち、都の貴公子たちの求婚を退け、最後は八月十五夜に月へ帰っていく。誰もが子どもの頃に絵本で読んだ話です。
ところで、皆さんに質問です。
かぐや姫が月へ帰ったあと、物語はどう終わるかご存じでしょうか。
実は『竹取物語』は、姫が去った場面では終わりません。そのあとに、帝と「不死の薬」をめぐる短くも印象的な結末があり、しかもそれが、山の名前の由来にまでつながっていくのです。
今日は、月見の夜にふさわしい、かぐや姫の「その後」の話です。
日本最古の物語
『竹取物語』は平安時代前期の成立とされ、「物語の出で来はじめの祖(おや)」、つまり日本の物語文学の最初のものと呼ばれています。
あらすじは誰もが知るところですが、原文を読むと、子ども向けの絵本とはずいぶん印象が違います。
まず、かぐや姫は単なる「月から来たお姫さま」ではありません。月の都に属する存在であり、何らかの罪を得て地上へ下ろされ、期限が来れば帰らねばならない、いわば期限つきの滞在者として描かれます。彼女は最初から、別れが決まっていたのです。
そして、それを見つけた「竹取の翁」とは、野山に入って竹を取り、細工を施すことを生業とする老人で、当時の階層的には下層民に属する人物です。(國學院大學データベース)
原作『竹取物語』の中でも、翁とかぐや姫の身分差は最初からかなり意識されており、かぐや姫には尊敬語が使われ、翁より高貴な存在として描かれています。
そして中盤の見どころが、五人の求婚者との攻防です。石作皇子、車持皇子ら身分の高い男たちが次々と求婚してきます。それに対してかぐや姫が出す条件が、実に容赦ありません。仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の皮衣。どれも実在するかどうかも怪しい、荒唐無稽な難題ばかりです。
求婚者たちは偽物を用意したり、嘘をついたりして、ことごとく馬鹿を見ます。ユーモラスな場面ですが、同時にこれは、権力や財力といった地上の価値観が、かぐや姫にはまるで通用しないことを示す場面でもあります。彼女はこの世のものさしの外にいるのです。
帝とかぐや姫は、文通していた
さて、五人の貴公子を退けたあと、いよいよ帝が登場します。
帝は翁に対して、かぐや姫を差し出せば官位を与えるという話まで持ち出します。当時「五位」を得ることは貴族の一員になることを意味し、竹取の翁のような庶民には本来かなり遠い世界の話なのです。社会の一番下に近い場所から始まって、宮廷の頂点まで届くという極端な設定だったのですね。
絵本の「かぐやひめ」やスタジオジブリアニメ作品「かぐや姫の物語」の印象で、帝を「一方的に迫ってくる嫌な人物」と記憶している方もいるかもしれません。ですが原作の帝とかぐや姫の関係は、もう少し繊細です。
帝は一度、強引に彼女を連れ去ろうとして失敗しますが、その後は無理強いをせず、三年にわたって手紙のやり取りを続けます。かぐや姫のほうも、この文通だけは拒みませんでした。求婚者たちを片端から退けた彼女が、帝とだけは静かに言葉を交わし続けたのですね。
この三年間の積み重ねがあるからこそ、物語の最後の場面が効いてくるのです。
月からの迎えが、どこか仏教的である理由
やがて八月十五夜、運命の夜が訪れます。
帝は二千人の兵を差し向け、屋敷を厳重に守らせます。ところが月から光が差し、雲に乗った一団が空から降りてくると、兵たちは戦意を失い、弓を引くことすらできなくなってしまう。天人たちは泰然自若として、人間たちの必死の防備をまるで意に介しません。
原作で彼らは「天人」と呼ばれます。そして注目すべきは、姫が羽衣を着せられる場面です。羽衣をまとった瞬間、かぐや姫からは、翁や媼を思う心も、地上での悲しみも、すべて消えてしまうのです。
ここに、当時の人々の月のイメージが表れています。当時の人々にとって月は、現代のように「地球を回る岩石天体」としてだけ理解される存在ではありませんでした。仏教の天界、ニルヴァーナ、中国の神仙が住む仙境、不老不死の世界。そうした「ここではない世界」のイメージが重ねられていたと考えることができます。
ジブリ作「かぐや姫の物語」での天人たちの来訪は、仏が信者を迎えに来る「来迎」の図像とも重なります。しかしこの物語では、その救済が必ずしも幸福として描かれません。苦しみも悲しみも消える世界へ行くことは、地上の情を捨てることでもある。天上界の救いには、そういう冷たさがついてまわるのです。
中国には「不死の薬を飲んで月へ昇った女性」がいた
ここで少し、海の向こうへ目を向けます。
中国の伝説では、嫦娥(じょうが)は夫・羿(げい)が得た不死の薬を飲み、月へ昇った女性として語られます。中秋節に月を祝う中国の文化とも深く結びついた伝説で、月に住む美しい女性という点で、かぐや姫としばしば比較されます。
『竹取物語』が嫦娥伝説をそのまま翻案したとまでは言えません。ただ、月に住む女性、不老不死、天上世界という組み合わせに、中国の神仙思想の影響を感じさせるものはあります。
そして面白いのは、ここから先の見事な逆転です。
嫦娥は、不死の薬を飲んで月へ行きました。
かぐや姫は、不死の薬を地上に残して月へ帰るのです。
帝は、不死の薬をどうしたか
ここからがジブリ作「かぐや姫の物語」では描かれなかった結末です。
月へ帰る直前、かぐや姫は帝に手紙を書き、不死の薬を添えて残していきます。
これは、とてつもない贈り物です。古今東西、権力者が最も欲しがってきたものが不老不死でした。秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて使者を東の海へ送り出し、その伝説は日本各地にも残っています。皇帝たちが命を削ってまで欲しがったものが、いま帝の手の中にあるわけです。
しかし帝は、それを飲まず、こう語りました。
「逢ふ事も 涙に浮かぶ 我が身には 死なぬ薬も 何にかはせん」
※現代語訳「(かぐや姫に)逢うこともできず、涙に身が浮かぶほど悲しんでいる私には、不死の薬など何の意味がありましょうか(いや、何の意味もありません)」
そう考えた帝は、家臣に命じます。駿河の国にある、「天に最も近い山」へ登り、その頂上で姫の手紙と不死の薬を焼くように、と。
だから「不死の山」=富士山
命を受けた者たちは山の頂へ登り、手紙と薬に火をつけました。
『竹取物語』は、この出来事からその山が「不死の山」と呼ばれるようになったと語ります。さらに、多くの「士(つはもの)」を連れて山へ登り、不死の薬を焼いたことから「富士(ふじ)」の名が生まれたとも記されています。不死と富士、二重の語源遊びが仕込まれているわけです。
そして物語は、この一文で幕を閉じます。
「その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。」
当時の富士山は実際に噴煙を上げる活火山でした。都の人々にとって、遠く富士から立ち上る煙は、想像ではなく現実の風景だったのです。その現実の煙を「帝が焼いた不死の薬の煙」に変えてしまう。ここにも『竹取物語』の想像力の冴えがあります。
もちろん、これは富士山の語源を確定する話ではありません。「ふじ」の語源には諸説あり、物語の中で語られた由来譚として読むべきものです。
それでも、なんという結末でしょうか。手の届かない人への想いを断ち切るために、誰もが欲しがる永遠の命を、天に一番近い場所(つまりかぐや姫の居る月に一番近い場所)で焼く。その煙が、今日も富士の頂から立ち昇っている。千年以上前の作者が仕込んだこの終幕は、あまりに美しいと思います。
不死は、かぐや姫の代わりにはならなかった
この結末を、中国の嫦娥伝説と並べてみると、面白いことに気づきます。
嫦娥の物語では、不死の薬は憧れの対象であり、それを手にした者は人間を超えた世界へ行きます。一方『竹取物語』では、不死の薬は最後に焼かれる。人間を超えないという選択が、物語の締めくくりになっているのです。
ここには、永遠の命そのものよりも、失った相手への思いのほうが重く描かれています。少なくとも帝にとって、不死はかぐや姫の代わりにはならなかったのですね。
最後に ― 月は、昔の人にとって「別世界」だった
十五夜の月を見上げて、昔の人が考えたのは、クレーターでも重力でもありませんでした。
あの光の向こうには、自分たちとは違う世界があるのではないか。苦しみのない天上界、不老不死の仙境、人間の情を超えた場所。そうした想像力が、かぐや姫という物語を生みました。
そして、その想像の物語が、日本一の山の名にまでつながっていった。空想と現実が地続きになるこの感覚こそ、古典を読む楽しみだと思います。
今年の月見の夜には、ぜひ思い出してみてください。あの月の都から降りてきた姫がいて、彼女が残した永遠の命を焼いた煙が、富士山から立ち昇っている。そんな物語を、千年前の日本人が作り出していたことを。そして、不死より大切なものを語った物語だったことを。
おしまい。









