「宣戦布告」はなぜ消えたのか ― 戦争の礼儀の歴史
「宣戦布告」という失われた戦争の作法
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
ニュースを見ていると、どこかの国で戦争や軍事衝突が起きた際に「宣戦布告もなしに攻撃した」という言葉を耳にすることがあります。なんとなく「それはルール違反なのではないか?」という印象を持つ方も多いかもしれません。
ですが実は、現代の国際社会において「宣戦布告」という制度は、事実上その役割を終えています。
むしろ今の時代、安易に宣戦布告をしてしまうと、自ら「戦争を始めました」と認めることになり、国際法上の立場が非常に危うくなってしまうことさえあるのです。
かつては戦争の「礼儀」でもあった宣戦布告。 なぜそれは、歴史の表舞台から姿を消してしまったのでしょうか。 今日は少しだけ時間をさかのぼって、戦いのルールの変遷を眺めてみたいと思います。
1. 「名乗る」という中世の礼儀
日本の中世の戦いには、現代から見ると少し不思議な習慣がありました。 それが、有名な「名乗り」です。
『平家物語』などの軍記物語を読むと、
「やあやあ我こそは、○○国の住人、○○の子、○○である!」
というように、戦う前に自分の名前や家柄を大声で名乗る場面がよく出てきます。これは単なる演出ではなく、実際の武士の戦い方に近いものだったと考えられています。
当時の戦は、個人の武勇が重要な価値を持っていました。
誰が誰を討ち取ったかという「名誉」が大切だったため、まず自分が誰なのかを名乗る必要があったのです。
言ってみればこれは、戦う前の自己紹介だったのですね。 命をやり取りする場であっても、まずは名乗る。そこにはある種の、「戦いの礼儀」が存在していました。
2. 戦国時代、消えゆく作法
しかし、戦国時代に入ると、この「名乗り」の文化は次第に姿を消していきます。 理由はとてもシンプルで、戦争の形が「個人の武勇」から「集団の勝利」へと変わったからです。
・鉄砲の導入
・大規模な足軽部隊による集団戦
・夜襲や奇襲の常態化
などが戦国時代では当たり前になりました。個人の名乗りや一騎打ちよりも、軍として勝つことが重要になっていったのです。
名乗ってから戦う余裕などありません。むしろ、真っ先に敵に自分の居場所を教えるような行為は、自滅を意味するようになってしまったのです。
戦争の技術が進化し、その規模が拡大すると、それまでの「礼儀」は効率の前に消え去っていったのですね。
3. 近代国家が作った「宣戦布告」というルール
時代が進み、近代国家が成立すると、戦争には新しいルールが必要になりました。それが「宣戦布告」という制度です。
19世紀の軍事思想家クラウゼヴィッツは、著作「戦争論」の中で「戦争は政治の延長である」と述べました。 つまり戦争とは、国家が政治的な目的を達成するための、いわば「正式な手段」であるという考え方です。
近代国家が宣戦布告という制度を重視したのも、この発想と無関係ではありません。戦争は国家の正式な政治行為であり、だからこそ「開戦の宣言」が必要だったのです。
1907年のハーグ条約では、「宣戦布告、あるいは最後通告なしに戦争を開始してはならない」というルールが明確に定められました。 近代の国家にとって、宣戦布告は「これから国家としての正式な政治行為(戦争)を始めますよ」という、世界に対する公式なアナウンス、いわば国際的な礼儀になったのですね。
4. 戦争そのものが「違法」になった日
しかし、このルールは長くは続きませんでした。
第二次世界大戦においては、多くの戦争が宣戦布告無しで始まってしまいました。
1939年のドイツによるポーランド侵攻ではドイツ側からの宣戦布告はなく、いきなり電撃戦を行うという典型的な奇襲作戦でしたし、1941年の日本によるアメリカハワイ州への真珠湾攻撃も(最後通告を出したものの大使館の怠慢により提出が遅延したので)事実上の奇襲攻撃でした。
その他にも、同年に起きた独ソ戦のきっかけとなるバルバロッサ作戦など、宣戦布告なしでの奇襲が相次いだのです。 こうした凄惨な経験を経て、国際社会は一つの大きな決断を下します。
「そもそも、戦争という行為自体をルールで縛るのではなく、戦争そのものを違法にすべきではないか」
1928年の不戦条約、そして1945年に成立した国連憲章によって、国家による武力行使は原則として禁止されました。 例外として認められているのは、基本的には「自衛権の行使」か「国連安全保障理事会の決議によるもの」の二つだけです。 つまり現代において、戦争はもはや「政治の延長」として認められた正式な手段ではなく、原則として「違法な暴力」という位置付けになっているのです。
5. なぜ宣戦布告は消えたのか
ここまでくると、宣戦布告という制度は非常に扱いづらいものになります。
もし国家が正式に「宣戦布告」をしてしまうと、それは「オレたちは今から、原則禁止されている違法な戦争を始めるぞー!」と世界に宣言しているようなものだからです。
そのため現代では、たとえ大規模な武力衝突であっても、
・特別軍事作戦
・自衛行動
・治安維持のための介入
といった、別の言葉が使われることがほとんどになりました。
残念ながら宣戦布告が消えた理由は、「世界が平和になったから」ではないんですね。 むしろ逆で、「戦争が違法になったために、誰も正面切って『これは戦争です』とは言えなくなった」というのが、現代の複雑な状況なのですね。
ちなみに、国家が正式に宣戦布告を行って始まった大規模な戦争は、第二次世界大戦の時代が最後だと言われています。 朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、湾岸戦争も、イラク戦争も、形式上は宣戦布告による「戦争」ではありませんでした。
宣戦布告という制度は、事実上、第二次世界大戦という激動の時代を最後に歴史の舞台から姿を消したのです。
最後に
歴史を振り返ってみると、源平の武士は「名乗り」、近代国家は「宣戦布告」をしてきました。 しかし現代では、そのどちらも失われています。
戦争の形や、国際社会のあり方が変われば、その周囲にある「礼儀」や「ルール」もまた、驚くほど劇的に変わっていくのですね。
クラウゼヴィッツが説いたように、戦争が政治の一つの形であるならば、戦いのルールが変わる背景には、常にその時代の政治の姿があるのでしょう。
そう考えると、今の僕たちが手にしている民主主義という制度や、一票を投じる権利というのも、長い歴史の積み重ねの末にある、とても重みのあるものに思えてきます。
宣戦布告が消えた現代だからこそ、僕たちが政治に対してどんな期待を込め、どんな選択をしていくのか。日々の小さな一票の行方が、巡り巡って未来の「平和の形」を作っていくのかもしれませんね。
おしまい。





