アダム・スミスに学ぶ「共感」の仕事術

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

アダム・スミスという名前を聞くと、多くの人が真っ先に思い出すのは「神の見えざる手」という言葉ではないでしょうか。『国富論』で語られた、「市場に任せて、みんなが自分の利益を求めて行動することが、結果として社会全体のがうまく回るよ」という考え方で有名な人物です。「経済学の父」としても広く知られていますね。

でも実は、スミスにはその国富論よりも前に書いた、もう一つの大切な主著があるんです。それが『道徳感情論』です。

この本は、難しい経済学の本ではありません。「人はなぜ他人の幸せを喜べるのか?」「なぜ社会はバラバラにならずに成り立っているのか?」という、人間観察の記録です。

そしてこれが、現代のビジネスマンにとって、経済学以上に刺さる内容だったりするのです。

コケ丸
コケ丸
アダム・スミスって、『お金がすべて!』って言ってるイメージだったけど……人間観察の本も書いていたんだな。ちょっと意外
よしたか
よしたか
そうかい?この本を読むとスミスは、冷徹な経済学者というより、人間の温かい心に誰よりも注目していた道徳哲学者だったんだなと思うよ

「利己的な人間」像への、スミスの反論

アダム・スミスは1723年、スコットランドに生まれました。グラスゴー大学で道徳哲学を教えながら、「人間は何によって行動するのか」を深く考え続けた人物です。

スミスが生きた18世紀のヨーロッパでは、「人間は基本的に自分のことしか考えない利己的な生き物だ」という考え方が広まっていました。哲学者のトマス・ホッブズは「自然状態の人間は、万人の万人に対する闘争だ」と言いました。人間は放っておけば奪い合い、争い合う。だから強い権力で抑え込む必要がある、という発想です。

でも、スミスはその見方に「待った」をかけました。

たしかに、人は自分の得を求めます。損をしたくないし、少しでも有利に生きたいと思う。これは自然なことです。けれどスミスは、それだけでは人間を説明しきれないと考えました。

現実を見ると、見知らぬ人が苦しんでいれば胸が痛くなるし、誰かが喜んでいれば自分も嬉しくなる。そんな、自分の利益とは別の「心の動き」が誰にでもあることに注目したんです。

スミスはその働きを、「共感(sympathy)」と呼びました。

「公平な観察者」という、心の中のブレーキ

『道徳感情論』の中で、スミスは「公平な観察者(impartial spectator)」という面白い概念を説明しています。

僕たちは何か行動を起こすとき、無意識のうちに「もし第三者が今の自分を見たら、どう思うだろうか」と考えているとスミスは言います。自分の行動を、外側から冷静に見ている架空の観察者。それが、人間の道徳判断の基準になっているというのです。

たとえばビジネスの場面で考えてみましょう。

目の前の利益のために、バレない嘘をついて取引先を騙すことは、不可能ではありません。でも多くの人は、そこで踏みとどまります。それはルールが怖いからだけではなく、自分の中の「公平な観察者」が「そんなことをする自分を、自分で認められるか」という感覚があるからでしょう。「これをやったら、まともな人間の目にはどう映るだろう」という感覚が、ブレーキになるんですね。

コケ丸
コケ丸
誰も見ていなくても、自分の中に見張りがいるってことね
よしたか
よしたか
そうなんだ。この『心の中の審判』が機能しているからこそ、社会はバラバラにならずに済んでいるんだとスミスは考えたんだね

共感とは、相手の立場に立つ「想像力」

ここで少し整理しておきたいのですが、スミスが言う「共感」は、単なる「かわいそう」という同情とは違います。

スミスの共感は、相手の立場に自分を置いてみる、という知的な営みです。「もし自分があの人の状況だったら、どう感じるだろうか」と想像する力。それが、人と人をつなぐ強力な接着剤になっているとスミスは考えました。

これは現代のビジネスでいえば、顧客視点とか、ユーザーエクスペリエンスとか呼ばれているものに近い気がします。

自分がこの商品を使う側だったら、何が嬉しくて、何が不満か」を想像できる人と、できない人では、仕事の質がまったく変わってきます。スミスが言っていたのは、その能力こそが人間社会の根本にある、ということでした。

イラストレーターの仕事でも同じです。どんなに絵がうまくても、「クライアントが何に困っていて、この絵でどんな問題を解決したいのか」という想像力がないと、良い仕事にはつながりません。逆に、共感力の高い人は、技術が平均的でも仕事が続いているように見えます。僕も仕事上、クライアントの側、エンドユーザーの側に立って客観的に自分を見る、ということをこの20年欠かしていないので、この話はとてもよくわかります。

スミスは、それを今から270年前に見抜いていたのですね。

「見えざる手」を支える、見えない信頼

ここで、冒頭の「見えざる手」の話に戻ります。

スミスは決して「自分勝手に振る舞えばいい」と放任したわけではありません。自由な取引がうまく機能するためには、その大前提として「人々が互いに共感し、公平な観察者の目を持ち、信頼を基盤にしていること」が必要だと考えていました。

信頼と道徳によって支えられた社会があって初めて、市場の「見えざる手」が正しく働く。スミスにとって、道徳と経済は切り離せないセットだったのです。

つまり『道徳感情論』と『国富論』は、切り離された別の本ではなく、同じ問いに対するふたつの答えだったのだと思います。人間社会はどう成り立っているのか。その答えの前半が「共感と道徳」で、後半が「市場と分業」だったわけですね。

コケ丸
コケ丸
じゃあ、共感のない市場はスミスが想定していないものだったわけか
よしたか
よしたか
そうなんだよ。利己心だけで動く社会を肯定したわけじゃなかった。そこが長年誤解されてきた部分かもしれない

現代だからこそ響く、スミスの問いかけ

SNSが発達した現代は、「公平な観察者」の力が以前よりもずっと必要になった時代だと思います。

誰かの行動は、すぐに可視化されます。企業が取引先を短期的な利益のために共感を忘れて不誠実な対応をすれば、それはすぐに広まります。逆に、誰かが誠実に仕事をして、きちんと顧客に寄り添った行動を取れば「信頼」となって可視化され、それもまた広まっていく。「任天堂の神対応!」とかわかりやすい例ですね。

この時代に長く生き残るビジネスの条件は、効率や技術だけではないとスミスなら言いそうですね。「他人の立場に立てるか」「自分の行動を外側から見られるか」「短期的な利益より、信頼を積み重ねることを選べるか」という問いがかつてないほど重要になっている気がします。

270年前に書かれた本が、こんなにも今の話として読めてしまうことに、歴史の面白さを感じますね。

最後に

アダム・スミスが本当に伝えたかったのは、「自分の利益だけを追え」ということではなく、「共感と誠実さこそが、社会を回す本当のエネルギーである」ということだったのですね。

目に見える数字や効率の影に、目に見えない「信頼」が積み重なっている。そのことを、スミスは静かに、そして力強く書き残していました。

もし、「最近、自分の損得ばかり考えて行動しちゃってるな……」と思ったなら、自分の中の「公平な観察者」と対話してみるのはいかがでしょうか。 そして、誰かの立場に立って、その心に触れる想像をしてみると、今日の仕事がうまく回り始めるかもしれませんね。

よしたか
よしたか
以上、アダム・スミス『道徳感情論』にまつわるお話でした

おしまい。

【おまけの雑学】
スミスが生前出版したのはこの「道徳感情論」と「国富論」の二冊のみです。他にも大量の未発表原稿があったようですが、その多くが死の直前に友人に頼んで焼却処分してしまったとのこと。

未完成の著作が世に出ることで自身の評価が損なわれることや、思想が誤解されることを極端に恐れていたそうなので、きっと完璧主義者だったのでしょうね。

もし残っていればスミスの思想をより深く理解する重要な資料となっていただろうな……と考えるともったいない話ですね。

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。