指導者を排除すれば、国は変わるのか ― ベネズエラとイランが示した「斬首作戦」の限界
ベネズエラとイランで行われた「斬首作戦」
こんにちは。長年ニュース番組に携わっているイラストレーターの榎本よしたかです。
2026年、アメリカは二つの「斬首作戦」を実行しました。
1月3日、米陸軍の特殊部隊「デルタフォース」がベネズエラの首都カラカスに侵入し、大統領ニコラス・マドゥロを拘束。マドゥロはニューヨークの連邦裁判所に移送され、麻薬テロ罪で起訴されました。作戦時間はわずか30分。軍事的には完璧な成功でした。
2月28日、米・イスラエルの合同作戦がイランを攻撃し、最高指導者アリー・ハメネイ師が殺害されました。防衛大臣、革命防衛隊司令官など、イランの安全保障の中枢を担う人物たちも同時に排除されました。
ふたつの作戦は、どちらも軍事的には「成功」でした。
しかし結果は、まったく異なるものになっています。
マドゥロ大統領を失ったベネズエラでは、副大統領がアメリカの要求に応じる方向へ舵を切りました。マドゥロ政権によって苦しめられてきた国民の多くは大統領の拘束を歓迎し、街では祝福の声が上がりました。一方、ハメネイ師を失ったイランでは、息子のモジタバが新最高指導者に就任し、革命防衛隊(正規軍とは独立した最高指導者直属のエリート軍事組織)は複数か所の米軍基地への報復攻撃を実行。停戦後も体制は機能し続けています。
なぜこれほど結果が違うのか。
その答えを探るには、まずマドゥロという人物から始める必要があります。
バスの運転手から独裁者へ ― マドゥロという男
ニコラス・マドゥロは、もともとベネズエラの首都カラカスのバスの運転手として日銭を稼ぐ労働階級でした。
学歴としては、大学を卒業したという公的記録はなく、知識人を自称するタイプでもありませんでした。ただ、労働組合運動の中で頭角を現し、やがてウゴ・チャベス(後の大統領)という革命家と出会います。マドゥロはチャベスの「貧者の救済」「石油利権を福祉に回す」「反米路線」という思想に心酔し、彼に対して徹底的に従順でした。
異論を唱えず、批判もせず、190cmの大男のマドゥロはチャベスの後ろでただニコニコと笑い、ひたすら彼の意向を先読みして動く。その忠実さが評価され、チャベスが大統領になった後は外務大臣、そして副大統領へと出世していくことになります。
チャベスは、庶民的な言葉遣い・ユーモア・直接訴えを武器にした、テレビに強いカリスマ性を持つ人物でした 。
ところがチャベスは癌になり、2年の闘病の末に2013年に病死しました。亡くなる際に、公式後継者として指名されたのがマドゥロでした。
「忠実な人物」と「政治的橋渡しの役割」を見込んだ人事で、周囲のエリートからは「理解しがたいが、いちずなチャベス信奉者だし、チャベスが重視した「21世紀の社会主義」や「反帝国主義」のイデオロギーをそのまま継承してくれるんじゃないかな」という位置づけでした 。
しかしマドゥロには、チャベスが持っていたものが何もありませんでした。カリスマ性も、演説の力も、革命の理念でもない。マドゥロはチャベスの「影」として生きてきた人物であり、自分自身の正統性を持っていなかったのです。
権力を握ってからのマドゥロの行動は、その不安定さをよく表しています。
経済が崩壊しハイパーインフレが起きても、マドゥロは「アメリカの経済戦争だ」と繰り返すだけでした。国民が食料を求めて行列を作り、人口の4分の1以上が国外に逃げ出しても、選挙を不正に操作して政権を維持しようとしました。
そして最も有名なエピソードとして語られるのが、「小鳥のさえずり」です。
2013年、チャベスの死後まもなく、マドゥロは演説の中でこう語ったと伝えられています。「昨日、散歩をしていると、小さな鳥が現れた。その鳥はしばらく私の周りを飛び回り、歌を歌った。その鳥はチャベスだった。チャベスが私にメッセージを送ってきたのだ!」と。
さらに彼は、占いや霊媒師を政策決定に取り入れていたとも伝えられています。自身のカリスマ性の無さを自覚し、それをオカルトで埋めようとしていたのかもしれません。
これはラテンアメリカの文化的背景を考慮しても、多くのベネズエラ国民には「指導者の器ではない」と映りました。理念もなく、カリスマ性もなく、チャベスの霊に頼る大統領。国民が愛想を尽かしていくのは、ある意味で必然だったかもしれません。
そしてハイパーインフレです。
インフレって辛いよね、日本も最近物価が高くてトホホ、と思われたかもしれませんが、ベネズエラのハイパーインフレはそんなレベルではありませんでした。コーヒー1杯飲むのに大量の紙幣が必要になり、国民は生活に最低限必要な買い物も困難になります。
2019年1月のインフレ率は実に268万%となり、「昨年100円で買えたものが一か月後には268万円」というレベルです。お金を刷っても追いつかず、紙幣そのものが不足し、決済手段そのものが壊れはじめました。
僕はリアルタイムで、ベネズエラ在住の方のブログを読んでいたのですが、その困窮ぶりは見るに堪えないほどでした。終の棲家としてベネズエラを選んだブロガー夫婦はとうとう国外脱出を決意。日本に帰国して安堵のため息をつかれていましたが、ベネズエラ国民も生活のために隣国コロンビアに出稼ぎや避難に向かう人が増え、「通貨が死ぬと国民が国を離れざるを得ないんだなぁ」としみじみ考えさせられました。
ベネズエラは一応の民主主義国家だったという点も重要です。選挙制度を持ち、国会も存在しました。マドゥロは選挙を不正に操作して政権を維持しましたが、その正統性は常に国内外から疑問視されていました。2024年の大統領選では、野党候補が実際には勝利していたにもかかわらず、マドゥロが勝利を宣言しました。国際社会の多くがこれを認めず、マドゥロを「違法な指導者」と見なしていました。
こうした背景があるからこそ、マドゥロが拘束されたとき、ベネズエラの国民の多くは街に出て祝福したのです。
そして副大統領デルシー・ロドリゲスは、マドゥロ拘束の直後に「アメリカに野蛮に攻撃された」と非難し、大統領の解放を訴えながらも、その後アメリカの要求を受け入れる方向へと舵を切りました。体制の中枢にいた人間が、指導者を失うと即座に方針を変える。これが「カリスマへの忠誠」で成り立っていた体制の実態でした。
では、なぜイランはまったく違う結果になったのでしょうか。少し遠回りになりますが、その答えを理解するには歴史をさかのぼる必要があります。
「斬首作戦」という発想の歴史
指導者を排除すれば組織は崩壊する、という発想は、軍事史において繰り返し試みられてきました。
最も有名な例のひとつが、第二次世界大戦中の「ヴァルキューレ作戦」です。1944年7月20日、ドイツ国防軍の将校たちがヒトラー暗殺を試みました。爆弾は爆発しましたが、ヒトラーは軽傷で生き延び、計画は失敗。関与した将校たちは処刑されました。
仮にヒトラーが死んでいたとしても、ナチス体制が即座に崩壊したかどうかは疑問です。当時のナチスドイツにはゲーリング、ヒムラー、ゲッベルスといった後継者候補が複数いましたし、体制の正統性は、すでにナチ党という組織と国家機構に分散していたからです。
2011年のウサマ・ビン・ラディン殺害でも、同じことが起きました。ビン・ラディンは射殺されましたが、アルカイダは消えませんでした。組織は後継者に引き継がれ、ISISという派生組織が生まれ、首切りなどの残虐な処刑動画を流し、「抵抗する者、協力しない者」に対して恐怖を植え付けながら、一時的に広大な領土を支配するに至ります。
指導者の除去が必ずしも体制の崩壊につながるわけではないんですね。では、崩壊する体制と生き残る体制の違いは何なんでしょうか。
イランという「革命国家」の構造
イランは、ベネズエラとはまったく異なる構造を持っています。
1979年の革命前、パフラヴィー朝は今では想像もできないような国家体制でした。「西欧型の近代化と独裁的君主制」が同居する政権で、経済的には石油で急成長しつつ、政治的には強権・情報統制・不平等が深刻な国家でした。
映像を見ると「70年代のアメリカかな?」と思うほど近代的で、女性の服装はTシャツにジーンズやミニスカートなど自由で華々しく、ヒジャブを被る人はどこにも見当たりません。
しかし、国王モハンマド・レザー・シャーによる独裁によって知識人や労働者を含む反体制派は弾圧される政治制度や、イラン国民の利益より欧米の利権が優先されている実態に国民の不満が高まり、イスラム教シーア派の信仰に立ち返ることが求められるようになりました。
そこで皇帝政治を批判して国外追放になっていたシーア派最高指導者のホメイニ師が国外から反政府活動を指導、学生や労働者、市民や農民にいたるまで王政打倒を叫び始め、収拾がつけられなくなった国王は1979年1月に国外脱出をはかり、イラン革命が成し遂げられます。
その後は、女性が9歳になるとヒジャブを被るように強制され、教育・政治参加・結婚・離婚・相続・法的立場など法律レベルで女性の権利が大きく後退しました。ジェンダーギャップ指数では世界最下位クラスです。
「王政を打倒し、外国の支配も脱した」という国民が望んだ結果とはいえ、全体として国家はより宗教的・抑圧的な体制に傾いたのです。
イラン革命後の指導者たちは、「ヴェラーヤテ・ファキーフ(法学者の統治)」という独自の統治原理を生み出しました。最高指導者は単なる政治的指導者ではなく、イスラム法の番人として神学的正統性を持つ存在となりました。
この体制の特徴は、権力が個人ではなく、制度とイデオロギーに根ざしていることです。
革命防衛隊は数十万人規模の組織で、イデオロギー教育によって結束しています。バシジという民兵組織も合わせると、体制を守る武力は100万人規模に達します。これらは最高指導者個人への忠誠よりも、「イスラム革命の継続」という理念への忠誠によって動いています。
ホメイニ師の後継者であるハメネイ師が殺害された直後、イランの国家安全保障最高評議会は即座に暫定指導評議会を設置しました。40日後には専門家会議がモジタバ・ハメネイを新最高指導者に任命した。後継者指名の仕組みが制度として存在していたのです。
専門家評議会、大統領、最高裁長官、革命防衛隊。これらの機関はそれぞれ独立した権限を持ちながら、イスラム共和国という体制を守るために機能します。最高指導者はその頂点ですが、体制そのものではないんですね。
あるアナリストはこう分析しています。「イランの体制は、指導者が死んでも機能するように設計されている。革命防衛隊の分散型ネットワーク、イデオロギー訓練、複数の権力機関。これらはすべて、指導者の喪失に備えた設計だ」と。
歴史が繰り返してきた「失敗のパターン」
この構造の違いは、歴史の中でも繰り返し現れています。
モンゴル帝国はチンギス・カンの死後、後継者争いによって分裂し、最終的に解体へと向かいます。帝国の凝集力がチンギス個人のカリスマと血統に依存していたからです。これはマドゥロ体制に近い構造ですね。
一方、ローマ帝国は特定の皇帝が死んでも続きました。「ローマ」という制度と法と理念が、個人を超えて存在していたからです。皇帝が暗殺されても、元老院と軍団という制度が帝国を維持し続けた。
フランス革命期に、恐怖政治を主導したロベスピエールが処刑されたとき、恐怖政治は終わりました。しかし革命そのものは終わりませんでした。革命が生み出したイデオロギーと制度は、指導者の死を超えて生き続けたのです。
「個人が体制か、体制が個人を超えているか」。この違いが、斬首作戦の成否を分ける最大の要因なのです。
これは僕たちの組織の話でもある
少し話を変えます。
「斬首作戦」の成否は、国際政治の話だけではありません。組織論として読むと、現代のビジネスにも直接刺さる問題があります。
皆さんの組織は、特定の誰かに依存していますか。その人がいなくなったとき、組織は機能し続けるでしょうか。
ビジネスの世界に「キーパーソンリスク」という言葉があります。特定の人物に組織の機能が依存しすぎている状態のことです。その人が病気になったら、辞めたら、あるいは引き抜かれたら、組織は機能するでしょうか。
これはベネズエラが抱えていた問題と構造的に同じです。
たとえば、創業者が圧倒的なカリスマで顧客を引きつけていた会社を考えてみてください。その人が引退したとき、顧客はその人についていくのか、それとも会社に残るのか。もし顧客が「その人だから取引していた」と感じていたなら、それはチャベスへの忠誠と変わらない構造です。
あるいは、社内で「あの人がいないと何もわからない」という状態になっていないでしょうか。ノウハウが特定の人の頭の中にしかなく、マニュアルも引き継ぎもない。その人が突然いなくなったとき、組織は機能するでしょうか。
営業でも同じことが起きます。「あの担当者だから買っている」という顧客との関係は、担当者が変わった瞬間に崩れる可能性があります。個人の人脈で動いている組織は、その人間が去ると同時に、関係も消えてしまう。
一方、強い組織は個人を超えています。スターバックスやトヨタは、特定の誰かがいなくなっても機能し続けます。それは「理念」「制度」「システム」が個人を超えて存在しているからです。
フリーランスとして20年やってきた僕自身にも、これは刺さる問いです。「僕にしかできない仕事」を積み上げることは差別化になりますが、同時にその仕事は僕という個人に完全に依存しています。
もし僕が病気で動けなくなったら、仕事は止まります。チャベス体制と同じ脆弱性を、フリーランスは構造的に抱えているとも言えます。
だからこそ、フリーランスや小規模な組織にとっては、「自分がいなくても回る仕組みを少しでも作っておく」ことが、長く続けるための知恵になるのだと思います。マニュアル化、外注化、チーム化。どれも「個人への依存を薄める」試みです。
イランが40年かけて「指導者がいなくなっても機能する体制」を作り上げたように、組織も意識的に「人に依存しない構造」を作っていかないと、いつか誰かの「斬首」で機能を失うことになりかねません。
それは国家の話であり、企業の話であり、そしてひとりで仕事をしている人間の話でもあります。
指導者を排除すれば、国は変わるのか
ベネズエラでは、体制は動揺しました。国民は祝福し、副大統領は米国と向き合う方針に転換しました。それはマドゥロ個人の能力だけが問題ではなく、チャベスが作り上げた「個人のカリスマへの忠誠」という体制設計そのものが、すでに空洞化していたからと言えます。
イランでは、体制は続いています。それは革命防衛隊が強いからだけでなく、「イスラム革命」という理念と制度が、個人を超えて40年以上かけて根付いているからです。
体制の正統性がどこに宿っているか。それが「斬首作戦」の成否を決めるのだと思います。
個人に宿る正統性は、個人を除去すれば揺らぎますが、理念と制度に宿る正統性は、個人を超えて生き続けます。
「指導者を倒せば国が変わる」という発想は、2000年以上前から繰り返されてきた幻想かもしれません。変わるかどうかは、その国が何の上に立っているかによって、結末はまったく異なるんですね。
歴史はまだ続いています。
以上、ベネズエラとイランの「斬首作戦」をめぐる歴史考察でした。
おしまい。

