ひとつのボールが、なぜ世界の感情を動かすのか

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

サッカーは、世界最大級のスポーツです。FIFAによると、世界には約50億人のサッカーファンがいるとのことです。

ワールドカップが始まると、世界中が熱狂しますよね。勝利に涙し、敗北に肩を落とす人々。ときには街に何万人ものサポーターが集まり、暴動に発展することさえあります。

日本でもサポーターが渋谷に集まりますが、交差点で騒いだあと、信号が赤になると一斉に歩道へ戻る姿が最近海外で話題になりました。同じサッカーなのに、国や地域によって盛り上がり方はずいぶん違いますね。しかし共通しているのは、ボールがひとつゴールに転がり込んだだけで、人々が我を忘れて涙するという不思議な熱狂です。

なぜサッカーは、これほど人を熱狂させるのでしょうか。

その答えを探るには、中世のイギリスまでさかのぼる必要があります。今日はサッカーが「熱狂のスポーツ」になっていった歴史をたどってみたいと思います。

コケ丸
コケ丸
中世?サッカーってそんなに古いのか
よしたか
よしたか
ただし、僕らが知っているサッカーとは全然違うものだったんだよ。まずはそこから話そう

サッカーは「村同士の乱闘」だった

中世初期のイングランドに、「モブフットボール」と呼ばれる民衆のボール遊びがありました。

村と村が対抗して、ボールを相手陣地まで運ぶ。ただそれだけのルールです。参加者は数百人。街全体がグラウンドで、路地も広場も畑もすべて舞台になりました。

ルールらしいルールはほとんどありません。ボールを蹴るだけでなく、押し合い、奪い合い、殴り合いのような騒ぎになることもありました。参加者は熱狂し、時には死者が出ることもあったといいます。

あまりに激しいため、記録によれば少なくとも14世紀には、ロンドンでフットボールを禁じる命令が出されています。1314年、国王エドワード2世の名のもとに出されたこの禁止令は、その後も歴代の王によって繰り返されました。禁止しても禁止しても、人々はボールを蹴ることをやめなかったのです。

これはスポーツというより、村祭りに近いものでした。年に一度、無礼講で暴れることが許される日。日常のうっぷんを晴らし、村の結束を確認する場でもあったのです。

現代のサッカーの熱狂の原点は、実はこの「村祭りとしての乱闘」にあると考えられます。ルールがないからこそ、感情がむき出しになる。勝敗を超えて、共同体の誇りをかけて戦う。この根っこの部分が、何百年経った今もサッカーには残っているように思います。

イギリスのイングランドで生まれたこの民衆遊戯は、フランスでは「ラ・シュール」と呼ばれて親しまれ、やがてヨーロッパの複数地域に広がっていきました。

イギリスが「紳士のスポーツ」に変えた

事態が大きく変わったのは、19世紀のイギリスです。

パブリックスクールと呼ばれるエリート養成校で、フットボールが「教育の一環」として取り入れられるようになりました。集団行動、規律、フェアプレー。少年たちを鍛えるための手段として、ボールゲームが位置づけられたのです。

ところがここで問題が起きます。学校ごとにルールが違うのです。ある学校では手でボールを持って走ることが許されている。別の学校では足しか使ってはいけない。試合をしようにも、共通のルールがないので成立しません。

そこで1863年、ロンドンで各校の代表が集まって話し合いが行われ、フットボール・アソシエーション(FA)が設立されました。ここで初めて統一ルールが作られます。

このとき大きな争点になったのが、手で持って走ることや、相手のすねを蹴る「ハッキング」と呼ばれる行為を認めるかどうかでした。議論の末、FAは主に足でボールを扱うルールへと進んでいきます。これに反発した手を使う派の学校は袂を分かち、後のラグビーへとつながっていきました。サッカーとラグビーは、ここで分岐したのです。

コケ丸
コケ丸
ラグビーとサッカーって、元は同じだったのか
よしたか
よしたか
同じルーツから分かれたんだよ。手を使うか使わないかで、別のスポーツになっていったんだ

ちなみに「サッカー」という言葉は、Association Football の「association」から生まれた略語だと言われています。イギリスの学生スラングで「アソシエーション」を縮めて「soccer」と呼んだのが始まりです。イギリス生まれの競技なのに、現在のイギリスでは主に「football」と呼ばれ、アメリカや日本では「soccer」と呼ばれる。名前ひとつにも、世界に広がった歴史の痕跡が残っています。

こうして、暴力を減らし、ルールで縛られ、フェアプレーを重んじる「紳士のスポーツ」としてのサッカーが生まれました。乱闘だったものが、教育の道具になった。ここには文明化の思想がありました。

イギリス帝国が世界へ運んだ

統一ルールを得たサッカーは、イギリス帝国の拡大とともに世界へ広がっていきます。

鉄道技師、船乗り、商人、労働者、留学生。イギリス人が行く先々で、彼らはサッカーを持ち込みました。それを見た現地の人々が、自分たちでもボールを蹴り始めます。

もちろん、それは純粋なスポーツ交流だけではありません。植民地支配や貿易、鉄道建設、港湾都市の拡大といった、イギリス帝国の力の広がりとセットになっていました。サッカーの世界地図は、ある意味で帝国の勢力図の上に描かれていったのです。

アルゼンチンでは19世紀後半にイギリス人労働者が広め、やがて南米独自の技巧的なスタイルへと発展していきました。ブラジルでは、イギリスで学んだチャールズ・ミラーという青年が、留学先からボールとルールブックを持ち帰ったことが、近代サッカー普及の象徴的な出来事として語られています。イタリア、スペイン、ドイツにも同じように広がり、各国独自の文化と結びついていきます。

そしてサッカーが世界中に広がった理由として、もうひとつ見逃せないことがあります。道具の少なさです。

必要なのはボールと、ゴールに見立てるものだけ。専用の競技場も、高価な用具もいりません。貧しい地域でも、路地裏でも、砂浜でも、子どもたちはボールさえあれば遊べました。ブラジルの路地から、アフリカの空き地から、後のスーパースターたちが次々と生まれてきたのは、この「誰でも始められる」という性質があったからです。

面白いのは、サッカーが「イギリスから輸入された外国の遊び」という位置づけで終わらなかったことです。むしろ、受け入れた国々が自分たちのスポーツとして再解釈し、それぞれの国民性を表現する場に変えていきました。この普遍性が、サッカーが世界最大のスポーツになれた理由のひとつだと思います。

サッカーは「街の誇り」になった

ここが、サッカーの熱狂を理解する上で最も重要なところです。

サッカーが各国に広まると、クラブチームが生まれます。そしてそのクラブは、ただの選手の集まりではありませんでした。

工場労働者たちが作ったクラブ。港湾労働者たちが作ったクラブ。炭鉱町のクラブ。移民コミュニティのクラブ。それぞれのクラブは、街や工場や職業や共同体そのものを背負う存在になっていきました。

サポーターが応援しているのは、11人の選手ではありませんでした。それは自分たちの共同体の誇りです。「あのクラブが勝つ」ことは「自分たちが勝つ」ことであり、「あのクラブが負ける」ことは「自分たちが負ける」ことなのです。

だから、同じ街のライバル同士が対決するダービーマッチや、地域や歴史の対立を背負ったライバル対決は、時に戦争のような熱を帯びます。マンチェスター・ユナイテッド対マンチェスター・シティ、ボカ・ジュニアーズ対リーベル・プレート、そしてレアル・マドリー対バルセロナの「エル・クラシコ」。これらの試合が特別な熱を帯びるのは、単なるスポーツの試合ではなく、街や地域の誇りと歴史をかけた戦いだからです。

コケ丸
コケ丸
応援してるのが選手じゃなくて、自分たちの街ってことか
よしたか
よしたか
そうなんだよ。だからサッカーは、単なるスポーツを超えて、共同体のアイデンティティそのものになっていくんだ

FIFA誕生 ― ただし、イギリス抜きで

サッカーが世界中に広まると、当然こういう声が上がります。「国同士で試合をしたい。そのための国際組織を作ろう」。

1904年、パリでFIFA(国際サッカー連盟)が設立されました。参加したのはフランス、ベルギー、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイス、デンマークの7か国です。
ここで、あれ?と思いませんか。

そうです。サッカーの母国イギリスが、入っていないのです。

FIFA設立を主導したのはフランスでした。フランス側はもちろんイギリスに参加を呼びかけました。しかしイギリス、正確にはイングランドのサッカー協会(FA)の反応は、冷ややかなものでした。「サッカーは我々が作った競技である。その我々が、なぜ大陸の新参者たちが作った組織に従わなければならないのか」というわけです。

ルールを作ったのは自分たち。最初のサッカー協会を作ったのも自分たち。世界に広めたのも自分たち。その本家本元としての誇りが、国際組織への参加をためらわせました。

イングランドがFIFAに加盟したのは設立の2年後。しかもその後、オリンピックのアマチュア規定をめぐる対立などから、脱退と再加盟を繰り返すことになります。

コケ丸
コケ丸
本家が国際組織に入らないって、すごい意地の張り方だな
よしたか
よしたか
「教わる側」だった国々が集まって組織を作り、「教えた側」のイギリスがそっぽを向く。この構図、なんだか人間くさくて面白いよね

この軋轢は、のちに始まる世界大会にも長く影を落とすことになります。

意地を張って距離を置いているあいだに、世界は追いつき、追い越していく。「本家」や「元祖」という看板は、参加し続けなければ守れない。FIFAとイギリスの物語は、そんな教訓としても読めるかもしれません。

ワールドカップがナショナリズムを刺激した

脱退と再加盟を繰り返すイングランドを横目に、FIFAはひとつの構想を進めていました。オリンピックから独立した、サッカー単独の世界大会です。

こうして1930年、第1回FIFAワールドカップがウルグアイで開催されました。もっとも、この記念すべき第1回大会に、サッカーの母国イングランドの姿はありません。当時FIFAを脱退していたからです。イングランドが初めてワールドカップに参加したのは、1950年のブラジル大会。第1回から実に20年後のことでした。

しかもこの1950年大会で、イングランドは「サッカー後進国」と見なされていたアメリカに0対1で敗れるという大波乱を起こしています。母国の威信を掲げて満を持して参加した大会での、まさかの敗北。イギリスの新聞は当初、この結果を誤報だと思ったという逸話まで残っています。意地を張って距離を置いているあいだに、世界は追いつき、追い越していたのです。

さて、このワールドカップの誕生によって、サッカーの熱狂は新しい段階に入ります。

クラブチームの試合が「街を背負う」ものだったのに対し、代表戦は「国を背負う」ものになります。街から国へ。共同体の規模が一気に拡大したのです。

すると、勝敗が国家の誇りに直結するようになります。「我々の国が勝った」「我々の国が負けた」。90分間の試合が、国家間の象徴的な戦いになる。

だからサッカーは、政治や外交とも深く結びついてきました。1969年には、エルサルバドルとホンジュラスの間で「サッカー戦争」と呼ばれる武力衝突まで起きています。

もちろんサッカーだけが原因だったわけではなく、移民問題や土地問題など、もともと両国の間には深い緊張がありましたが、ワールドカップ予選は、その緊張が一気に噴き出す象徴的な場になったのですね。「サッカーの試合が戦争の引き金のひとつになった」という事実は、このスポーツが背負ってしまった熱量の大きさを物語っています。

巨大ビジネスになった現代サッカー

現代のサッカーは、もはや「スポーツ」という枠を超えた巨大産業になりました。

なぜサッカーがこれほど大きなビジネスになったのか。答えはシンプルで、人々の熱狂がそのままお金を生むからです。

放映権料は年々高騰し、スター選手の移籍金は数百億円規模に達します。中東のオイルマネーがヨーロッパの名門クラブを買収し、世界中のファンがユニフォームを買い、配信サービスで試合を観る。女子ワールドカップも急成長を遂げ、サッカーの市場はさらに拡大を続けています。

共同体の感情が、グローバルな市場に接続された。それが現代サッカーの姿です。街の誇りだったクラブが、世界中にファンを持つブランドになる。この変化を寂しく感じる古参サポーターも少なくありませんが、熱狂が経済を動かすという構造そのものは、村祭りの時代から変わっていないのかもしれません。

熱狂は暴力にも変わる

サッカーの熱狂は、時に暴力にもなります。フーリガンと呼ばれる過激なサポーターの問題です。

ただ、これを単に「野蛮な人たちの行為」として片付けることはできません。背景には、労働者文化、酒、男らしさの表現、地域対立、集団心理といったものが複雑に絡み合っています。20世紀後半のイギリスでは、経済停滞の中で失業した若者たちの鬱屈が、サッカースタジアムで爆発する構造がありました。

サッカースタジアムが、彼らにとっての「代理戦争の場」になってしまった。日常で発散できない感情が、90分間の試合と集団の熱狂の中で解放される。これは村祭りとしてのモブフットボールが持っていた「無礼講の場」という性格の、暗い側面が現代に噴出したものかもしれません。

一方、日本のサポーターは違う形の熱狂を見せます。試合後にスタジアムのゴミ拾いをする姿、渋谷で信号を守る姿。これは日本人が礼儀正しいという話というより、公共空間を大切にする文化と、サッカーの熱狂が結びついた独自の形と言えます。文化が違えば、同じスポーツでも熱狂の表れ方は変わるのですね。

ひとつのボールの行方に、なぜ人はここまで心を奪われるのか

村祭りで始まり、紳士のスポーツへ姿を変え、街の誇りとなり、国家の誇りとなった。

サッカーは単なる球技ではありません。何百年もの歴史の中で、人間の共同体、感情、政治、経済、そして文化のすべてを飲み込んで、世界最大のスポーツになりました。

ひとつのボールの行方に、なぜ人はここまで熱狂するのか。

その答えは、私たちがゴールに向かって走る選手の姿の中に、自分の街や国や共同体の姿を見ているからなのかもしれません。ボールが相手ゴールに転がり込む瞬間、それは自分たちの誇りが叶えられる瞬間でもある。だから涙が出るし、歓喜する。時には国境を越えて共に感情を分かち合う。

中世の村祭りの熱狂が、姿を変えて今も世界中で燃え続けている。それがサッカーの正体なのだと思います。

よしたか
よしたか
以上、サッカーが世界を熱狂させる理由にまつわるお話でした

おしまい。


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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。