人はなぜ、美しい形に数字を探すのか

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

絵を描く仕事をしていると、不思議な瞬間があります。

構図を決めるとき、画面のどこに主題を置くか。数ミリずらしただけで、しっくりきたり、落ち着かなくなったりする。理屈では説明できないのに、目だけは確かに「ここだ」と確信するときがあるのです。

この感覚に、名前と数字を与えようとした人たちが、歴史上ずっといました。

美しいと感じるものには、何か法則があるのではないか。神殿にも、名画にも、貝殻にも共通する数字があるのではないか。その二千年におよぶ探求の中で、二つの比率が主役として浮かび上がってきます。

黄金比と、1対√2の比率です。

今日は、この二つの数字をめぐる物語をたどってみます。古代ギリシャの幾何学から、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヒマワリの種、そして皆さんの机の上のA4用紙まで。案外、遠くまで連れていってくれる話です。

コケ丸
コケ丸
美しさに法則があるって、ロマンのある話だな
よしたか
よしたか
二千年以上、人類が真剣に追いかけてきたテーマだからね。まずは始まりの場所、古代ギリシャから行こう

古代ギリシャで生まれた、不思議な比率

黄金比の出発点は、意外にも「美」ではなく「幾何学」でした。

紀元前3世紀ごろ、数学者ユークリッドは『原論』の中で、ある線分の分け方を記述しています。

線分を二つに分けるとき、全体と長いほうの比が、長いほうと短いほうの比とぴったり等しくなるように分ける。この分け方を突き詰めると、おおよそ1対1.618という数字が現れます。後に黄金比と呼ばれる比率です。

この比率の面白さは、自己相似にあります。黄金比の長方形から正方形を切り取ると、残った部分がまた黄金比の長方形になる。それを繰り返すと、また同じ形が現れる。永遠に入れ子になっていく。

ユークリッドがこの分割を必要としたのは、正五角形を作図するためでした。実は正五角形には、黄金比が構造的に組み込まれています。星形(ペンタグラム)を描いてみると、線分の交点がことごとく黄金比で分割されていることがわかります。

古代ギリシャのピタゴラス学派が星形を象徴として用いたと伝えられるのも、この図形が持つ数学的な美しさと無縁ではないのでしょう。彼らにとって数とは、世界の秩序そのものでした。

ルネサンスで、黄金比は「神聖」になった

この比率が「美の法則」へと昇格するのは、ずっと後のことです。

15世紀末、イタリアの数学者ルカ・パチョーリが『神聖比例論(デヴィナ・プロポルツィオーネ)』という本を書きます。1490年代に執筆され、1509年に刊行されたこの本で、パチョーリはこの比率に神聖な意味を与えました。

なぜ「神聖」なのか。彼の理屈が振るっています。この比率は言葉で表しきれない(無理数である)。それは神が人間の言葉で語り尽くせないのと同じだ。しかも一つの比が三つの項を結びつける。三位一体のようではないか、というのです。

そして、この本の挿絵を描いたのがレオナルド・ダ・ヴィンチでした。

レオナルドが描いた多面体の図は、いま見ても惚れ惚れするほど美しいものです。骨組みだけの立体を透視図法で描き、内部構造まで見えるようになっています。数学書の図版でありながら、完全に絵画作品として成立しています。

天才画家と数学者が組んで作った本。この出会いによって、ユークリッドの幾何学的な道具は、芸術と神秘をまとった特別な数字へと変貌しました。

ちなみに「黄金分割」という呼び名が広く使われるようになったのは、かなり後のことです。少なくとも18世紀末には用例があり、19世紀に定着したとされます。古代ギリシャ人やレオナルドが「黄金比」と呼んでいたわけではないのです。

コケ丸
コケ丸
レオナルドが数学書の挿絵を描いてたのか! 豪華すぎるだろ
よしたか
よしたか
しかも本気の仕事でね。あの多面体の図、今のCGみたいに構造がちゃんと見えるんだ。本当にスゴい仕事だよ

自然界にも、同じ数学が顔を出す

さて、ここで話は人間の手を離れます。

黄金比と切っても切れない関係にあるのが、フィボナッチ数列です。1、1、2、3、5、8、13、21、34…。前の二つを足していくだけの、単純な数列です。

ところがこの数列、隣り合う数の比を計算していくと、進むほど黄金比に近づいていきます。2÷1は2、3÷2は1.5、5÷3は約1.67、8÷5は1.6、13÷8は1.625。じわじわと1.618に収束していくんです。

そしてこの数列が、自然界のあちこちに顔を出すのです。

ヒマワリの種の螺旋の本数。松ぼっくりの鱗片の並び。パイナップルの表面。多くの植物の花びらの枚数。数えてみると、フィボナッチ数になっていることが実に多いのです。

さらに面白いのが黄金角です。多くの植物は、葉や種を約137.5度ずつずらしながら配置していきます。この角度は、円周を黄金比で分割したときに現れる角度です。

なぜこの角度なのか。重なりを避けながら空間を効率よく使ううえで有利だと考えられていますが、その成り立ちは単純ではなく、植物の成長過程や発生の仕組みとも深く関係しています。

いずれにせよ、確かなことがひとつあります。植物は、美しさを目指したわけではありません。生きるための仕組みの結果として、この配置にたどり着いたわけです。人間が神聖だと崇めた数字が、ヒマワリの種の中で黙々と働いている。この事実のほうが、どんな神秘的な伝説よりも面白いと僕は思います。

もうひとつの不思議な比率、1対√2

さて、ここで舞台を日本に移します。

日本では、**1対√2(約1対1.414)**の比率が「白銀比」あるいは「大和比」と呼ばれることがあります。

この比率が持つ性質が、また見事なのです。

1対√2の長方形は、長辺を半分に折ると、まったく同じ1対√2の長方形になる。

黄金比の自己相似が「切り取ると同じ形が現れる」なら、こちらは「折ると同じ形が現れる」。しかもこの性質を持つのは、数ある比率の中で1対√2だけです。

そしてこの数学的な必然が、現代の僕たちの生活を支えています。A4のコピー用紙です。

A判・B判の紙は、どれも縦横比がほぼ1対√2になるよう作られています。出発点はA0で、面積はちょうど1平方メートル。それを半分にするとA1、さらに半分でA2、A3、そしてA4。どれだけ折っても形が変わらないので、拡大縮小コピーをしても余白が出ず、裁断にも無駄が出ません。ちなみに日本のJIS B判も同じく1対√2で、B0の面積は1.5平方メートルです。

黄金比が神聖さをまとったのに対し、1対√2は圧倒的な実用性によって世界中の紙になりました。数学の性質が、そのまま日用品の規格になっているんですね。毎日何気なく使っているコピー用紙が、実は√2という無理数でできていると思うと、少し愉快になりませんか。

僕は小学生の時にA4用紙を半分に折るとちょうどA5と同じサイズになったことに気づき、何度折っても縦と横の比率が同じになるこの用紙を不思議に思い、「これを考えた人は天才だ!」と感心したのを覚えています。もちろん√2なんて知りませんでしたが。

日本建築や工芸の中に1対√2に近い比率を見出す研究や解説も多く、法隆寺もしばしばその例として挙げられます。キャラクターの造形と結びつけて語られることもあります。ずんぐりした安定感が、この比率の親しみやすさなのだ、と。

コケ丸
コケ丸
A0がちょうど1平方メートルなのか。よくできてるなあ
よしたか
よしたか
数学が日用品になった、気持ちのいい例だよね。折っても折っても同じ形。これ、√2以外では起きないんだ

そして人間は、名画や建築にも比率を探し始めた

ここまで来ると、人間が次に何をしたか、想像がつくと思います。

名作の中に、この数字を探し始めたのです。

パルテノン神殿は黄金比でできている。モナ・リザの顔は黄金比。ミロのヴィーナスも、ギザのピラミッドも。こうした話を、一度は聞いたことがあると思います。

ただ、ここだけは少しブレーキを踏んでおきたいと思います。

これらの説には、それを直接裏付ける当時の記録が確認されていないものが多く、後世の測定による解釈だという批判もあります。パルテノン神殿にしても、基壇まで含めるか、柱の頂部までを測るかで数値は変わってしまう。測り方を選べば、黄金比に近い数字は作り出せてしまうのです。

1876年、心理学者フェヒナーが行った有名な実験もあります。さまざまな長方形を見せて「どれが美しいか」を選ばせたところ、黄金比の長方形が最も多く選ばれました。ただし選んだのは全体の約35パーセントで、圧倒的多数というわけではなく、後の研究でも結果は一貫していません。

とはいえ、僕はこれを「人類の壮大な勘違い」とは思いません。

むしろ面白いのは、人間がそこまでして、美の根拠を数字に求めたがるという事実のほうです。名作を前にして「なぜこれは美しいのか」と問い、定規を当てずにいられなかった。その情熱こそが、黄金比の歴史の正体なのだと思います。

イラストレーターとして思うこと

さて、現場の話をさせてください。

仕事で「黄金比で構成してください」と言われることがあったとします。20年以上描いてきた実感で言うと、比率は答えではありません。数字どおりに置いただけの絵が良くなることは、まずありません。

ただし、まったく無用かというと、これも違います。比率の知識は「正解」ではなく、「足場」として確かに便利なのです。

白紙を前にすると、構図の可能性は千変万化、無限にあります。そこで「画面を三分割する」「黄金比のあたりに主題を置く」という型を知っていると、とりあえず置いてみる場所が決まる。ゼロから悩むのではなく、置いてから調整できる。この差は思いのほか大きいものです。

そしてもうひとつ、共通言語としての価値があります。クライアントと構図の話をするとき、共有された型があると話が早い。比率は美の法則というより、作り手同士のプロトコルなのだと思います。

最後に画面を決めるのは、数値ではなく目です。「計算上は正しいが、なぜか気持ち悪い」ときは、ためらわず崩します。でもその「崩す」という判断ができるのも、基準となる型を知っているからこそ。足場があるから、そこから跳べるのですね。

最後に ― 美を数字で説明したかった二千年

黄金比と1対√2。二つの比率をたどってきました。

ユークリッドの幾何学から始まり、ルネサンスで神聖をまとい、ヒマワリの種の中に見つかり、そして毎日使うコピー用紙になった。二千年以上にわたって、人類はこの数字たちと付き合い続けてきたわけです。

その歴史を眺めていて思うのは、人間はずっと、美の根拠がほしかったのだということです。

森羅万象の中から法則を見つけ出し、「なぜこれは美しいのか」に答えを与えたかった。だから神殿を測り、名画に線を引き、古い寺に√2を探した。その努力には後付けも混じっていたけれど、後付けをせずにいられなかったところにこそ、人間らしさがあると思うのです。

美の絶対法則は、たぶん存在しません。

それでも、先人たちが「美しさを説明したい」と願って残した数字は、今日も僕たちの名刺の中で、画面の中で、机の上のA4用紙の中で、静かに働き続けています。

次にコピー用紙を半分に折るとき、少しだけ思い出してみてください。その一枚は、古代ギリシャから続く長い探求の、ささやかな末裔なのですから。

コケ丸
コケ丸
今日からコピー用紙を見る目が変わりそうだ
よしたか
よしたか
以上、黄金比と白銀比にまつわるお話でした

おしまい。




 

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。