人類滅亡まであと何秒? ― 終末時計はなぜ生まれたのか
いま、人類滅亡まで「85秒」だそうです
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
今年の1月、こんなニュースが流れました。
人類滅亡の時刻を午前0時に見立てた「終末時計」の残り時間が「85秒」と発表された。過去最短である。
85秒。分に直せば1分25秒です。カップ麺ができるより短い。
もちろん、これを見て慌てて水と乾パンを買い込んだ方はいないと思います。でも、なんとなく落ち着かない気分にはなりませんか。
ウクライナ戦争ではロシアによる核使用への示唆がたびたび繰り返され、最近もロシアとNATO諸国の緊張を高める報道が続いています。中東でも軍事衝突が続き、AIをはじめとする新しい技術にも未知のリスクがある。そんなニュースを眺めていると、「85秒」という数字が妙に生々しく感じられる瞬間があります。
ところで、素朴な疑問です。
この85秒、いったい誰が、どうやって計算しているのでしょうか。
結論から言うと、これは「85秒後に人類が滅亡する」という科学的予測ではありません。そして終末時計の歴史をたどると、この不思議な時計が生まれた理由と、針を動かしてきたものの正体が見えてきます。
今日は、80年近く時を刻み続けている、世界一有名な「動かない時計」の話です。
原爆を作った科学者たちの危機感から生まれた
終末時計を生んだ背景には、原子爆弾の開発に関わった科学者たちがいました。
戦争が終わり、彼らは自分たちが手を貸したものの正体を、まざまざと見せつけられます。人類は、自らの文明を壊滅させかねない力を手に入れてしまった。しかもそれを生み出したのは、ほかならぬ自分たちである。
彼らはこう考えました。科学者の責任は、技術を生み出すところで終わるのではない。その危険を社会へ伝えるところまでが仕事なのではないか、と。
こうして1945年、シカゴ大学の科学者たちを中心に雑誌『原子力科学者会報』が創刊されます。そして1947年、その表紙のデザインを依頼された芸術家マーティル・ラングズドーフが考案したのが、この時計でした。彼女の夫もまた、マンハッタン計画に加わった科学者の一人でした。
最初の設定は、午前0時7分前。
そして、ここが実に面白いところです。この「7分前」に、科学的な根拠はまったくありませんでした。デザインとして見栄えがよかったから、というのが理由だったと伝えられています。
午前0時とは、何を意味するのか
時計の針が指す午前0時は、世界規模の破局を意味します。誕生当初、その中身はほぼ一つ、核戦争でした。
針の動きを追うと、冷戦の緊張がそのまま見えてきます。
1949年、ソ連が初の原爆実験に成功。針は3分前へ進みました。1953年、米ソが相次いで水爆実験を実施。針は2分前まで進みます。当時としては、限界まで午前0時に近づいた設定でした。
ここで多くの方が、ある疑問を持つはずです。「では、あのキューバ危機のときは何分前だったのか」と。
キューバ危機で、針は動かなかった
1962年のキューバ危機。米ソが核戦争の一歩手前まで行き、世界が息を呑んだ13日間です。
ところが終末時計の針は、このとき動きませんでした。
これは単に「会議が間に合わなかった」からではありません。終末時計は、一つの事件の瞬間的な危険度ではなく、長期的な傾向や、各国が危機にどう対応したかまで含めて評価するものだからです。キューバ危機はわずか13日間で収束し、その後には米ソ間のホットライン設置や、部分的核実験禁止条約へとつながりました。実際、翌1963年には針は12分前まで戻されています。
この事実は、終末時計の本質をよく表しています。これは事件のたびに反応する危険度メーターではありません。現在は年に一度、専門家たちが世界の状況を総合的に評価して針を設定する、いわば人類の年次健康診断なのです。
針は、戻ることもある
終末時計というと、じりじりと滅亡へ近づいていく一方通行の時計を想像しがちですが、実際には何度も後戻りしています。
史上最も午前0時から遠かったのは、1991年の17分前。冷戦の終結と米ソの核軍縮が評価された結果です。
数字を三つ並べてみてください。
1953年、2分前。1991年、17分前。そして2026年、85秒前。
この三つを眺めるだけで、20世紀後半から現在までの国際社会の緊張と緩和の歴史が、ぼんやりと見えてくるように思います。時計は冷戦期の2分前から、冷戦終結後には17分前まで戻り、そして現在はそれ以上に午前0時へ近づいています。
いつから「核だけの時計」ではなくなったのか
もうひとつ、大きな変化があります。
当初、終末時計が見ていたのは核兵器一本でした。ところが時代が下るにつれ、人類を脅かすものが増えていきます。
気候変動が時計の判断材料に加えられたのは2007年から。さらに近年は、生物学的脅威や、AIを含む破壊的技術、偽情報の拡散、国際協調の後退なども評価の対象になっています。
つまり現在の終末時計は、「核戦争まであと何秒」を示すものではなく、人類が自ら作り出した力によって招く、あらゆる破局までの危険度を象徴する時計になっているんですね。
2026年の声明では、核戦争の危険、気候変動、生物学的脅威、AIを含む破壊的技術、そしてそれらへ対処するための国際協力の弱体化などが挙げられました。とくに、抑止力としての核保有にとどまらず、強制の手段として核兵器の使用を論じる議論が行われていることが重視されています。
ここは大事な注意点です。「最近のあのニュースのせいで85秒になった」と考えるのは正確ではなく、設定は今年1月の時点で、複数の要因を総合して決められたものです。ただ、その後の情勢を見るにつけ、この象徴が妙に現実味を帯びて見えてくる、というのが正直なところでしょう。
この「85秒」を、どこまで信じればいいのか
さて、記事のはじめの問いに戻ります。この数字は信用できるのか。
正直に言えば、終末時計は未来予測ではありません。85秒後に破滅する確率を計算したものでもない。専門家たちが世界情勢を評価し、「このままでいいのか」と社会に問いかけるための、象徴です。
だから「85秒という数字に、文字どおり85秒という科学的意味があるわけではない」という指摘は、その通りです。終末時計は測定器ではなく、あくまで専門家によるリスク評価を、時計という比喩に置き換えたものだからです。
でも、厳密な予測でないから無意味かというと、僕はそうは思いません。
1947年から今日まで、針の位置を並べていくと、その時代の人類が何を恐れていたかの記録になっているのです。1950年代は水爆を恐れ、1991年には和解に希望を見て、そして2020年代は核と気候とAIを同時に恐れている。終末時計は、恐怖の年表なのです。
以前このブログで、時計の歴史を書いたことがあります。人類は時間を測る道具を発明し、やがてその道具に追われるようになった、という話でした。終末時計はその究極かもしれません。人類が自分たちの文明の寿命を測るために作った、たった一つの目盛りしかない時計なのですから。
最後に ― 針を動かしているのは、人間である
7分前から始まり、2分前になり、17分前まで戻り、そして今、85秒。
ここで思い出したいのは、この針は自然災害や隕石によって動いてきたのではないということです。核兵器も戦争も人間が生み出したものです。現在問題となっている気候変動も、その主因は人間活動にあります。そして新しい技術をどう使うかも、僕たち自身が決めています。針を進めてきたのは、一貫して人間自身の選択でした。
でも、それは同時に希望でもあります。1991年に17分前まで針が戻った歴史は、その可能性を示しています。人間が進めた針は、人間の手で戻せる。
終末時計は「もう終わりだ」という予言ではありません。「まだ戻せるはずだ」という、80年続く警告なんですね。
さて、現在最も強く「人類滅亡」を警告しているのは、Anthropicの元研究者ジェイコブ・コクソン氏と、同社のアライメント研究責任者エヴァン・ヒュービンガー氏です。加えて、AI研究の重鎮ジェフリー・ヒントン氏、AI安全団体のダン・ヘンドリックス氏、そして一部の大手AI企業経営者も、滅亡級リスクを軽視すべきでないと訴えています。
2026年10月現在、日本では毎日のように企業や地方自治体の情報漏洩が報道され、AIの脅威が叫ばれています。来年1月の終末時計は一体何秒前になるのか、今から気になっているのは僕だけではないと思います。
おしまい。








