なぜ日本のハロウィンは「仮装」が主役なのか ― ケルトの祭りから現代までの変遷
『E.T.』で見た、意味のわからない行列
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
僕が初めてハロウィンというものに触れたのは、小さな子どものころ、映画館でスピルバーグ監督の『E.T.』を観たときでした。(人生初映画でした)
映画の中で、仮装した子どもたちが夜の街を歩き、家々を訪ねてお菓子をもらっている。E.T.まで白いシーツをかぶって、お化けに変装しています。
当時の僕には、何をしているのかさっぱりわかりませんでした。日本にはそんな習慣がなかったからです。アメリカの子どもは、ずいぶん変わった遊びをするものだなあ、くらいの感想だったと思います。
その後、大きくなってから、あれがアメリカのハロウィンという行事なのだと知りました。
ところが、今の日本を見てみると、10月になれば店頭はオレンジ色に染まり、仮装した大人たちが街に繰り出していくのが風物詩になりました。
いったい、いつからこんなことになったのでしょう。
そもそもハロウィンは、古代ケルトの季節の祭りに源流のひとつがあるといわれています。それがなぜ、アメリカでは子どもがお菓子をもらう行事として親しまれ、日本では大人も楽しむ仮装イベントになったのか。
そして、もうひとつ気になることがあります。
そもそも、なぜハロウィンにはお化けや魔女、骸骨といった恐ろしい仮装がつきものなのでしょうか。
今日は、その数奇な変遷をたどってみたいと思います。
始まりは、冬を迎える祭りだった
ハロウィンの源流としてよく挙げられるのが、古代ケルトのサウィン(Samhain)という祭りです。
サウィンは、単なる収穫祭ではありません。夏の終わりと冬の始まりを告げる、季節の大きな節目の祭りでした。一年の変わり目にあたるともいわれています。
現代なら、冬が来るといっても暖房がありますし、スーパーに行けば食べ物が買えます。しかし昔の北ヨーロッパでは、冬は寒さや飢え、病気と隣り合わせの季節でした。日が短くなり、長い暗闇が訪れる。人々にとって、冬の到来は単なる季節の変化ではなかったのです。
後世のアイルランドなどの伝承には、この時期に人間の世界と異界が近づき、妖精や霊など、人ならざるものが現れるという話が見られます。
ただし、古代ケルト人が具体的にどのような儀礼を行っていたのかは、実はよくわかっていません。文字による同時代の記録が乏しく、後世の民間伝承から推測されている部分も多いのです。
それでも、冬の到来への恐れと、目に見えない存在への想像力が、この時期の祭りと深く結びついてきたことはうかがえます。
日本人にも、少し馴染み深い感覚かもしれません。以前このブログでお盆の歴史を書きましたが、死者や霊の存在を季節の行事と結びつける文化は、洋の東西を問わず見られるものです。
なぜ人間まで、化け物の姿になるのか
さて、ここで冒頭の疑問に戻ります。
恐ろしい霊や魔物がやってくる夜なら、人間は家の中にじっと隠れていたほうがよさそうなものです。
ところが、ハロウィンでは人間のほうも化け物の姿になる。
いったい、なぜなのでしょうか。
これには、いくつかの説明があります。
ひとつは、自分も霊や魔物の姿に変装することで、彼らに見つからないようにするという考え方です。周囲を人ならざるものたちが歩いているなら、自分もその仲間に見えるようにしてしまおう、というわけです。
もうひとつは、恐ろしい存在を自分たちで演じ、恐怖を笑いや遊びに変えるという考え方。怖いものをただ恐れるのではなく、その姿を借りてしまう。
もっとも、古代ケルトの人々が実際にこうした理由で仮装していたと断定できる史料はありません。
歴史的に確認しやすくなるのは、後の時代にアイルランドやスコットランドで行われていた、変装して家々を訪ねる習俗です。そこでは人々が仮面をつけたり、顔を隠したり、奇妙な格好をしたりしていました。仮装は、霊の世界を表現すると同時に、人々を驚かせたり、いたずらを楽しんだりする行為にもなっていきます。
この変化が、僕には面白く思えます。
もともと恐ろしかった存在が、いつしか人間自身が演じて楽しむものになっていったわけですね。現代のハロウィンでゾンビや吸血鬼の格好をして笑い合っている人たちにも、どこか通じるものを感じませんか。
キリスト教と重なり、仮装の習俗が育っていった
やがてキリスト教が広まると、秋の民間行事は教会の暦とも重なっていきます。
11月1日は「諸聖人の日」、英語で All Hallows’ Day。その前夜、つまり10月31日が All Hallows’ Eve です。これが縮まって、Halloweenになりました。名前からして「聖人の日の前夜」なのです。
この時期のヨーロッパでは、さまざまな民間習俗が育っていきました。
たとえば「ソウリング」。貧しい人々などが家々を回り、死者のために祈る代わりに、ソウルケーキと呼ばれる菓子などを受け取る風習です。そして「ガイジング」。スコットランドなどで、変装した人々が家を訪ね、歌や芸を披露して食べ物などをもらう習わしです。
お気づきでしょうか。仮装して、家を訪ね、食べ物をもらう。現代のトリック・オア・トリートによく似た要素が、すでにここにあったんですね。
現在のハロウィンはこうしてさまざまな土地の習慣が混ざり合いながら、少しずつ形を変えてきたと考えられています。
カボチャの怪物と、日本の鬼瓦
そして、もうひとつの名物がジャック・オー・ランタンです。
こちらにはアイルランドの伝説があります。ケチなジャックという男が、悪魔を何度もだましたため、死後に天国にも地獄にも入れなくなってしまう。行き場を失ったジャックは、カブをくり抜いた提灯に火を灯し、暗闇をさまよい続けることになった、という話です。
そう、もともとはカボチャではなくカブでした。
アイルランドでは、カブに恐ろしい顔を彫り、中に火を灯す習慣がありました。悪霊を遠ざけるためだったとも、人を驚かせる遊びだったとも伝えられています。この風習がアメリカで広まるなかで、カブより大きく、くり抜きやすいカボチャが使われるようになりました。
ところで僕は、このランタンの話を聞いたとき、日本のあるものを思い出しました。
鬼瓦です。
日本の古い家や寺院の屋根には、恐ろしい鬼の顔をかたどった瓦が置かれていることがあります。鬼というのは、本来なら人間にとって恐ろしい存在です。ところが、その鬼の顔を家の守りとして屋根に掲げる。鬼瓦には、魔除けの意味が込められてきました。
怖いものを追い払うために、あえて怖い顔を置く。
ジャック・オー・ランタンにも、同じような発想が感じられます。
遠く離れた土地で、人々が恐ろしい顔を守りの象徴として使ってきたという共通点は、なかなか興味深いものですね。人間は、恐怖にただ身をすくめるだけでなく、恐怖の姿そのものを利用しようとしてきたのかもしれないな、なんて思うのです。
アメリカで「子どものお祭り」として広まった
ハロウィンを世界的に知られる行事へと育てたのは、アメリカでした。
19世紀半ば、ジャガイモ飢饉などを背景に、アイルランドから多くの移民がアメリカへ渡りました。スコットランドからの移民なども、さまざまな習俗を新大陸へ持ち込んでいます。
そこでハロウィンは、さらに姿を変えていきました。仮装やいたずら、地域の集まりが盛んになる一方、子どもや若者の悪ふざけが社会問題になることもありました。そこで地域の大人たちは、子どもたちが安全に楽しめるパーティーや催しを企画するようになります。
そして意外なのが、「トリック・オア・トリート」の歴史が案外浅いことです。
この言葉が北米で使われ始めたのは20世紀前半。第二次世界大戦後、郊外住宅地の発展や菓子の普及などを背景に、子どもたちが家々を訪ねてお菓子をもらう習慣が広く定着していきました。
つまり、1982年の『E.T.』に映っていた光景は、何千年も変わらず続いてきた古代の習慣ではなかったのですね。
もちろん、アメリカにも大人の仮装パーティーはあります。大切なのは、ハロウィンが日本へやってきたころには、仮装もお菓子も、すでにその文化の重要な一部になっていたということです。日本人がコスプレ好きだから、突然仮装が始まったわけではなかったのです。
日本で最初に広めたのは、原宿だった
では、日本にはいつ入ってきたのでしょう。
普及のきっかけのひとつとされるのが、原宿のキデイランドです。1970年代からハロウィン関連の商品を販売し、さらに1983年には、原宿表参道で仮装パレードを実施しました。
参加者は約100人。しかも、当初は外国人の参加者が多かったそうです。キデイランド自身の記録によると、当時は日本でハロウィンがほとんど知られておらず、仮装した一団は通行人から大いに注目されたといいます。
想像してみてください。1983年の原宿で、魔女やお化けに扮した人々がぞろぞろと歩いている。事情を知らない人からすれば、いったい何事かと思ったことでしょう。『E.T.』を観て「なんだこれは」と思っていた当時の僕と、まったく同じ反応だったわけですね。
その後、1997年には東京ディズニーランドでハロウィンイベントが始まり、同じ年に川崎でも仮装パレードがスタートします。テーマパークや商業施設、地域イベントを通じて、ハロウィンは少しずつ日本に広まっていきました。そして2000年代から2010年代にかけて、渋谷のスクランブル交差点周辺には、仮装した人々が大勢集まるようになっていきます。
なぜ日本では、大人の仮装が目立つのか
さて、いよいよ本題です。
アメリカでは子どもたちのお菓子集めが代表的な風景なのに、日本ではなぜ大人たちの仮装がこれほど目立つようになったのでしょう。
理由はいくつか考えられます。
ひとつは、日本にすでにコスプレ文化の土壌があったこと。アニメや漫画、ゲームのキャラクターに扮して集まる楽しみ方は、日本でもハロウィンとは別に発展していました。ハロウィンの仮装が、そうした文化と結びついたことは想像に難くありません。さらに日本では、テーマパークや商業施設が、仮装を楽しむ場所を提供してきました。
一方、アメリカ式のトリック・オア・トリートは、日本では同じ規模では広まりませんでした。知らない家のインターホンを押してお菓子をもらうという習慣は、日本の住宅事情や近所づきあいには、そのまま取り入れにくかったのでしょう。もっとも、地域や施設が主催する子ども向けイベントでは、今も楽しまれています。
そして、SNSの普及です。仮装した姿を撮影して投稿する。それを見た人が次の年に参加する。年に一度、堂々と別の誰かになれる日。こうした楽しみ方が広がったことで、日本では特に大人たちの仮装が注目されるようになったと考えられます。
しかも現代の日本では、お化けや魔女に限らず、アニメキャラクターや映画の登場人物など、仮装の対象は実にさまざまです。
かつては恐ろしい存在の姿を借りていたものが、今では自分の好きな存在に変身する楽しみへと広がっている。ここにも、ハロウィンの長い変化の歴史が見える気がします。
いまも、変わり続けている
そして現在、日本のハロウィンはさらに姿を変えつつあります。
渋谷では混雑やトラブルが問題となり、近年は自治体が来訪の自粛を呼びかけるようになりました。一方で、池袋のように主催者がいて、ルールのもとで楽しむコスプレイベントも定着しています。
集まる場所が変わり、楽しみ方が変わる。賛否もありますが、これもまた、日本のハロウィンが変化している姿なのでしょう。
考えてみれば、古代の季節祭やキリスト教の行事、各地の民間習俗が重なり、移民とともに海を渡り、アメリカで独自の発展を遂げ、日本ではまた別の楽しみ方が生まれた。ハロウィンは長い時間をかけて、行く先々で姿を変え続けてきた祭りなんですね。
最後に ― 祭りは、旅をしながら姿を変える
文化というものは、土地を移るたびに、そこに暮らす人々の生活や娯楽に合わせて形を変えていくものです。
「本場と違う」と言うのは簡単ですが、その本場のハロウィンにも、さまざまな時代や土地の習俗が重なっています。はるかな古代から現在まで、何ひとつ変わらない姿で続いてきたわけではありません。
そして今回、僕が特に面白いと思ったのは、人間が恐ろしいものを、いつしか自分で演じて楽しむようになったということです。
暗闇や霊を恐れていた人々が、その姿をまね、仮面をつけ、他人を驚かせ、ついには笑い合うようになった。屋根に鬼の顔を掲げ、カブに不気味な顔を彫った人々の延長線上に、今の仮装があるのかもしれません。
そう考えると、ハロウィンの仮装には、単なるコスプレとは少し違う歴史の奥行きが感じられます。
映画館で『E.T.』を観て、仮装した子どもたちの行列を不思議に思っていた少年は、数十年後、日本の街でも似たような光景を見ることになりました。あのとき意味がわからなかった行事が、いまや当たり前の秋の風景になっている。文化が海を渡るというのは、こういうことなのだなと思います。
そして、いま僕たちが見ているこの光景も、数十年後にはまた違う形になっているのでしょう。そう思うと、今年の10月31日が、少しだけ特別な一日に見えてきますよね。
おしまい。







