電気が止まると、人々の暮らしはどうなるのか ― 電気の歴史とキューバの停電
今夜、スイッチを押しても点かなかったら
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
突然ですが、皆さんは今日、電気のことを何回考えましたか。
たぶん、ゼロ回だと思います。朝、スイッチを押せば灯りが点き、冷蔵庫は黙って食材を冷やし、スマホは枕元で充電されている。考える必要がないほど完璧に働いてくれるもの。それが電気です。
でも、いま地球上には、毎日何時間も電気が止まる国があります。
カリブ海の島国キューバでは、老朽化した発電設備と深刻な燃料不足が重なり、電力危機が続いています。2026年7月には、わずか1週間のうちに2度も全国規模の送電網が崩壊しました。地域によっては、1日のうち電気が使えるのが1~2時間程度という状況も報じられています。
冷蔵庫は使えず、水をくみ上げるポンプも止まり、暑い夜にも扇風機を回せない。病院の医療体制は深刻に悪化し、新生児医療や救命機器の維持が難しくなっています。これは単に「灯りが消える」という話ではありません。暮らしを成り立たせていた仕組みが、ひとつずつ動かなくなっていくということです。
電気が街や家庭の暮らしを大きく変え始めてから、人類の歴史でいえば、まだほんの150年ほどの新参者です。今日はその150年をたどりながら、最後にもう一度、この問いに戻ってきたいと思います。
もし今夜、スイッチを押しても点かなかったら、僕たちの暮らしには何が残るのでしょうか。
電気は「光」となって暮らしに入ってきた
電気の存在自体は、古代ギリシャの時代から知られていました。
琥珀を布などでこすると、軽い物を引きつける不思議な力。英語の「electricity(電気)」という言葉の語源が、ギリシャ語の琥珀を意味する「エレクトロン」だというのは有名な話です。
しかし長いあいだ、電気は目には見えても、自在に作り出して使える力ではありませんでした。18世紀から19世紀にかけて研究が進み、電池や電磁石、電信などが生まれます。ファラデーが1831年に電磁誘導を発見すると、機械の力から電気を作る発電機への道が開かれました。
そして1879年、エジソンの研究チームは長時間使える実用的な白熱電球を完成させます。これによって、電気は「光」となって、街や家庭に入ってきます。
ここで大事なのは、エジソンの本当の発明は電球「だけ」ではなかったことです。
電球が一つあっても、それだけでは街を照らせません。発電所があり、電線があり、電気を安全に分配する設備があり、使った量を測って料金を集める仕組みが必要です。
1882年、エジソンらはニューヨークのパール・ストリートに発電所を開き、周辺の顧客へ電気を供給しました。彼が作ったのは電球だけではなく、「電気を売るビジネスモデル」ごと発明したのです。
電球は、その巨大な仕組みを家庭へ迎え入れる、目に見える入口でした。
日本も驚くほど早く電気を導入しました。1882年(明治15年)には東京・銀座でアーク灯が公開点灯され、見物人が殺到したと伝えられています。1887年には東京電燈が家庭への配電を開始。文明開化の象徴として、電灯は少しずつ都市の闇夜を照らしていきました。
電流戦争 ― エジソンは「負けた」側だった
ここで、小話をひとつ。実は電気の規格をめぐって、19世紀末のアメリカで壮絶なビジネス戦争がありました。「電流戦争」です。
エジソンが推したのは直流(DC)。対するウェスティングハウス社と発明家テスラが推したのは交流(AC)でした。交流は電圧を変えられるため遠距離送電に圧倒的に有利。劣勢のエジソン側は、交流の危険性を世間に印象づけるネガティブキャンペーンまで展開したと言われています。
結果は交流の勝利。現代の送電網は交流が基本です。あの発明王エジソンが、規格争いでは敗者だった。技術の優劣だけでなく、どの規格が社会に広がるかによって未来が決まる。この構図は、その後もビデオテープやDVD、スマホのOSなど、さまざまな分野で繰り返されました。
なぜ関東と関西で周波数が違うのか
そして日本には、この「規格」をめぐる世界的にも珍しい置き土産があります。
東日本の電気は50ヘルツ、西日本は60ヘルツ。同じ国の中で電気の周波数が違う国は、世界でもほとんど例がありません。
原因は明治時代の買い物です。東京の電力会社はドイツから50ヘルツの発電機を、大阪の電力会社はアメリカから60ヘルツの発電機を、それぞれ輸入しました。当時は「とりあえず自分の街を照らす」ことが目的で、いずれ全国の送電網がつながる未来など、誰も想像していなかったのでしょう。
その場では合理的な選択が、後の時代に大きな制約になる。この分断が最も痛い形で表面化したのが、2011年の東日本大震災でした。東日本で電力が足りなくなっても、西日本の電気は周波数変換所の容量分しか送れない。明治の買い物の違いが、120年後の計画停電に影響したわけですね。
電気は「照明」から「あらゆるもの」になった
20世紀、電気は照明の座を飛び出して、暮らしのほぼすべてに染み込んでいきます。
モーターが工場を動かし、冷蔵庫が食の安全を変え、洗濯機が家事労働の時間を解放し、テレビが茶の間の中心になり、そしてコンピューターとインターネットが情報社会を作りました。
考えてみれば、現代の僕たちの「便利」は、ほぼすべて電気の別名です。水道も電動ポンプで送られ、ガス給湯器も電気で制御され、お金はもはや電子データで、この記事も電気がなければ書けず、読めません。150年前の新参者は、いまや文明の土台そのものになりました。
そして土台になったということは、抜かれたときに全部が崩れるということでもあります。
いま、電気が消えている国 ― キューバ
キューバでは近年、深刻な電力危機が続いています。発電所の老朽化と燃料不足が重なり、全土規模の停電が繰り返し発生。地域によっては計画停電が常態化し、日常生活の多くが電気の復旧待ちで止まると報じられています。
キューバの電力事情がここまで悪化した背景には、石油への強い依存があります。キューバでは発電の8割以上を石油製品に頼っており、その多くを国外から調達してきました。なかでもベネズエラは長年の主要供給国で、2025年にはキューバが必要とする石油のおよそ3分の1を届けていました。
しかし2026年、アメリカの介入によるベネズエラ政権の崩壊後、その供給が途絶えました。もともと老朽化していた発電設備に、深刻な燃料不足が重なり、キューバの電力危機は一段と悪化したのです。
停電が続くと、何が起きるか。報道などから見えてくるのは、こういう連鎖です。
冷蔵庫が止まり、食料が傷む。断水が起きる(送水ポンプは電動だからです)。夜が本当に暗くなり、治安の不安が増す。医療機器や通信が不安定になる。仕事も学校も止まる。つまり停電とは「灯りが消えること」ではなく、暮らしの土台が丸ごと止まることなのです。
それでも人々は、その中で暮らしを続けています。停電の夜に近所の人と外に出て涼み、語らう。炭を使って調理をし、ろうそくの灯りで食卓を囲む。そんな光景も伝えられています。
電気が消えた場所に、電気以前の人間の暮らし方が、ふっと顔を出す。たくましさに胸を打たれると同時に、「不便を分かち合う共同体」まで含めてようやく人は停電に耐えられるのだ、ということも見えてきます。
日本も他人事ではありません。震災の計画停電や、大型台風での長期停電を経験した方なら、あの心細さを覚えているはずです。電気は、あって当たり前のものではなく、毎日大量に発電し、エンジニアが雨の日も風の日もメンテナンスし続けることでかろうじて維持されている、綱渡りの豊かさなのです。
最後に ― 消えて初めて見えるもの
150年前、銀座のアーク灯に人々が殺到したとき、電気は「奇跡」でした。それがいつしか「当たり前」になり、考える回数はゼロという「空気のような存在」になった。そしてキューバの人々は今、その空気が抜かれた暮らしを生きています。
歴史をたどって見えてくるのは、「当たり前」とは自然にあるものではなく、無数の人の仕事によって毎日更新され続けている状態だ、ということです。発電所で夜勤をしている人、台風のあと電柱に登る人、周波数の違いすら乗り越えて電力を融通する仕組みを作った人。考えなくていい暮らしは、考え続けてくれている誰かの上に載っています。
今夜、部屋の灯りを点けるとき、ほんの一瞬だけ思い出してみてください。この一瞬の点灯の裏にある150年と、いまも灯りを待っている国があることを。
当たり前に感謝しましょう、というと説教くさいですが、そうではなく。当たり前の正体を知っている人は、それが揺らいだときに、慌てず、感謝しながら、たくましく生きられると思うのです。
おしまい。






