成功は実力だけで決まるのか ― ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』が教えてくれること
がんばっているのに報われないとき、人はつい自分を責めてしまう
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
仕事でも人生でも、順風満帆にうまくいっているように見える人を前にすると、「この人は実力があるからいいなぁ……」なんて思うことって、ありますよね。
逆に、自分ががんばっているのに思うように進まないときには、「同じくらい努力してるはずなのに、あの人はどんどん先に進んでいっちゃうな……」と焦ることもあります。
もちろん、実力や努力は大事です。まじめに積み重ねた人が強いのは、たしかにそうでしょう。でも一方で、ライバルと同等に頑張っていても、なぜか結果が出やすい人と、なかなか報われない人がいるのも現実です。
その差は、本当に本人の能力だけで説明できるのでしょうか。
そんなことを考えるとき、ふと思い出すのがアメリカの進化生物学者、ジャレド・ダイアモンドの著書『銃・病原菌・鉄』です。
この本は、人類の歴史の中で、なぜある地域の社会が他の地域より強い力を持つようになったのかを考えた本です。ただし、その答えを「人種の優劣」や「民族の能力差」に求めなかったところが、この本のすごいところでした。
ざっくり言えば、ダイアモンドが見ていたのは、人間の能力そのものよりも、その人たちがどんな環境に置かれていたかです。
・作物を育てやすい土地があったか。
・家畜化しやすい動物がいたか。
・東西に広がる大陸で技術が伝わりやすかったか。
そうした条件の違いが、長い時間をかけて大きな差を生んだのではないか、と彼は考えました。
この本は、ひとつの問いから始まった ― ヤリの問い
この本には、忘れられない出発点があります。
著者のダイアモンドが、パプアニューギニアでフィールドワークをしていたとき、現地の政治家・ヤリという人物にこう問われました。
「なぜ白人はこんなに多くの”モノ”を持っているのに、われわれにはそれがないのか?」
シンプルだけど、深い問いです。この問いが、本書全体のテーマになっています。
白人が豊かで、パプアニューギニアの人々がそうでないのは、白人が賢くて優れているからなのか? ダイアモンドは「違う」と言います。それは「環境の違い」だ、と。
では、どんな環境の違いが、文明の発展速度の差を生んだのでしょうか。
シマウマが家畜化できなかった理由
ダイアモンドの議論の中で、特に印象的な話が「なぜアフリカでは家畜化が進まなかったのか」というテーマです。
アフリカにはゾウ・ライオン・シマウマなど、大型動物がたくさんいます。でも、これらはほとんど家畜化されませんでした。なぜか?
シマウマは見た目は馬に似ていますが、咬みつき攻撃が非常に多く、人間に全く懐かない動物です。アフリカゾウはアジアゾウと違って家畜化に適していないとされています。つまり、アフリカには家畜化に向いた動物が、ほとんどいなかったのです。
一方でユーラシア大陸には、馬・牛・豚・羊・ヤギなど、家畜化に向いた動物が豊富にいました。
家畜化できれば農業の生産力が上がります。食料が増えると、農業以外の仕事をする人が生まれます。職人・兵士・学者……そうやって文明が発達し、やがて技術力の差となって現れていきます。
「アフリカの文明発展が遅れたのは、アフリカ人の能力が低かったからではなく、家畜化できる動物がいなかったから」。これがダイアモンドの主張のひとつです。
168人がインカ帝国を倒せた本当の理由

この絵はイギリスのラファエル前派ジョン・エヴァレット・ミレイの「ピサロのインカ征服」で、「銃・病原菌・鉄」上下巻の表紙を飾った絵です。
なぜこの絵なのか?実はこの瞬間こそがヤリの質問への答えを象徴しているからです。
1532年11月、スペインの征服者フランシスコ・ピサロはわずか168人のスペイン兵を引き連れて南米ペルーに上陸し、インカ帝国皇帝アタワルパを奇襲。これを征服しました。インカ側の兵士は数万人いたにもかかわらず、です。
インカ帝国は当時、数万の軍勢を擁する強大な国家でしたが、内戦で疲弊していました。アタワルパは兄ワスカルとの争いに勝利し、皇帝に即位した直後で、ピサロの到来を知り会見に応じました。ピサロはアタワルパの無防備な進軍を利用し、罠を仕掛けました。
11月16日、カハマルカの広場でアタワルパが数千の従者を伴って到着。ピサロは会見を装い、突然攻撃を開始し、騎兵と火器で混乱を誘いました。スペイン兵はアタワルパを捕らえ、インカ軍は武器を持たず逃走し、数時間で決着。死者はインカ側に2,000人以上、スペイン側はほぼゼロでした。
アタワルパを輿から引きずり下ろす瞬間を描いた絵こそがこの「ピサロのインカ征服」です。これはユーラシア大陸に住む白人と他の大陸に住む非白人との文明間格差を象徴しているシーンなのです。
捕縛後、アタワルパは「クアルト・デル・レスカテ」(身代金の部屋)を黄金で満たす約束をし、約5トンの金と10トンの銀が集められました。しかしピサロはこれを独占し、アタワルパを傀儡として利用。帝国の富を収奪し続けました。
1533年7月、スペイン側は反乱の恐れからアタワルパを反逆・多神教などの罪で裁判にかけ、火あぶりの刑を宣告。アタワルパはキリスト教への改宗を受け入れ、温情で絞首刑に変更されましたが、8月29日にカハマルカで処刑されました。これによりインカ帝国は実質崩壊へ向かいました。
同じ時代、エルナン・コルテスも500人ほどのスペイン兵を連れてメキシコに上陸、アステカ帝国を征服しています。人口数百万人を誇るアステカ帝国が、たった500人に。
「なぜそんなことが可能だったのか?」と思いますよね。鉄の武器や銃の存在も大きかったのですが、最大の要因は、天然痘でした。
スペイン人が持ち込んだ天然痘は、それまで一度も感染症に触れたことのなかった先住民に壊滅的な被害を与えました。推定では、ヨーロッパ人との接触後、先住民の人口の90%以上が感染症で失われたとも言われています。
なぜスペイン人は天然痘に免疫があったのか? 長い歴史の中で家畜と共に暮らし、家畜由来の病気と戦い続けた結果、免疫を持つようになっていたからです。
家畜を持てた→感染症と共存→免疫を獲得→征服能力の向上。すべては「どんな環境に生まれたか」という話なのです。
大陸の「向き」が、文明の速度を決めた
ダイアモンドはさらに、大陸の「向き」にまで話を広げます。これが個人的に一番おもしろい視点です。
ユーラシア大陸は東西方向に広がっています。東西方向は気候帯が似ているため、農業技術・家畜・作物が伝わりやすい。小麦が中東で生まれれば、東西に広がって中国やヨーロッパにも届きやすかったのです。
一方、アフリカ大陸や南北アメリカ大陸は南北方向に広がっています。南北方向には気候帯の違いがあるため、北の技術が南に伝わりにくく、逆もしかりです。
「メキシコで生まれた農業技術が、なぜ南アメリカには広まりにくかったのか?」
「アフリカで生まれた技術が、なぜサハラ砂漠を越えにくかったのか?」
それは大陸の向きという、個人の努力ではどうにもならない物理的な条件のせいだった、というわけです。
現代の仕事にも「置かれた場所の差」は確かにある
ダイアモンドの議論は古代・中世の話に見えて、実は現代にも刺さります。
僕たちはつい、成功をその人の努力や才能の物語として語りたくなります。あの人はセンスがある。行動力がある。営業がうまい。継続ができる……。それはたぶん本当です。
でもそれだけではなく、もっと静かな条件の差もあるはずです。
たとえば、どんな家庭で育ったか。子どものころから、本や会話や情報にどれくらい触れられたか。失敗してもやり直せる余白があるか。何かを始めるとき、相談できる人が近くにいたか。そもそも、その仕事が求められている市場に最初から近い場所にいたか。身近に成功のロールモデルがいたかどうか。
こうしたものは、目立ちません。けれど、あとからじわじわ効いてきます。
「同じ努力をしても、スタート地点が違えば結果が変わる」というのは、人類の歴史を見ても明らかです。
だからといって、努力が無意味なわけではない
ここで誤解したくないのは、「じゃあ全部環境で決まるんだね。努力しても無意味じゃん」という話ではないことです。
ダイアモンドが言いたいのは、「成功・失敗の原因を個人の能力だけに帰してはいけない」ということです。個人や民族の努力だけで歴史を語るのは乱暴だ、と言っているのでしょう。
これは現代の仕事でも同じです。
努力は大事です。実力も大事です。続けることも大事です。でも、それらが花開きやすい場所と、そうでない場所がある。追い風が吹いている市場と、どれだけ踏ん張っても向かい風の市場がある。その違いまで無視して「勝った人は偉い、負けた人は努力不足」と片づけてしまうと、少し話が雑になってしまうと思います。
むしろ大事なのは、自分を責めすぎないことと、土俵を見ることなのかもしれません。この場所は本当に自分に合っているのか。この市場には需要があるのか。自分の強みは、ここでちゃんと価値になるのか。
努力の量だけでなく、どこで戦うかを考えることも、立派な戦略です。
成功者ほど、自分の追い風に気づきにくい
最後に、もう一つ大切な点があります。
成功した人ほど、「自分は努力したから成功した」と思いがちです。でもダイアモンドの視点から言えば、成功には「環境・時代・運」という大きな追い風が働いていることが多いんですね。その追い風に気づかずに「俺は実力で勝ち取った」と言い続けると、恵まれない条件で戦っている人への共感を失っていきます。
もちろん、その人が努力していないわけではありません。でも、自分には自然にできたことが、他の人にはそうではない、という場面はたしかにあります。
たとえば、営業先で堂々と話せること。文章を読むのが苦にならないこと。「これをやると喜ばれる」という感覚が最初からわりとあること。それは本人の才能でもあるでしょうが、同時に、育ちや経験の中で無理なく身についた文化資本の影響かもしれません。
そう思うと、成功を語るときの言葉も少し変わってきます。「やればできる」と簡単に言い切る前に、自分が立っている場所を少し振り返ってみたくなる。その慎重さは、けっこう大事なのではないでしょうか。
成功を「すべて自分の実力だ」と過信せず、「自分には恵まれた条件があった」と気づける人のほうが、長期的には強いし、周りからも信頼されます。
僕の周りでも成功している人は「自分は運が良かった」と語っている人が多いです。僕自身も業界の片隅ではありますが、イラストレーターとしておよそ四半世紀活動してこれたのは実力や能力ではなく、恵まれた条件があったからだと思っています。
クライアント様にも大変恵まれました。いつもいつもお世話になり本当にありがとうございます!(露骨な営業)
ともあれ、歴史は成功を個人の能力だけで語るには、あまりにも複雑すぎることを教えてくれますね。
実力を見る目と、環境を見る目の両方を持ちたい
『銃・病原菌・鉄』を仕事論として読むと、妙に励まされるところがあります。それは、「努力しなくていい」と言ってくれるからではありません。逆に、「結果が出ないとき、全部を自分のせいにしなくてもいい」と思わせてくれるからです。
人はたしかに努力で伸びます。でも、置かれた場所や文化資本や市場の流れが結果に与える影響も、思っている以上に大きい。その両方を見ることができれば、成功した人を必要以上に神格化せず、うまくいかない自分を必要以上に責めずにすむのかもしれません。
実力は大事。でも実力だけでは決まらない。この当たり前のようで忘れやすい感覚を、ダイアモンドの本は思い出させてくれます。
歴史の勝者を「もともと強かった人たち」と決めつけないこと。そして現代の成功者を「努力だけで勝った人」と決めつけすぎないこと。その視点は、他人を見るときにも、自分を見るときにも、少しだけ優しく働いてくれる気がします。
成功は、実力だけで決まるわけではない。でも、だからといって何もできないわけでもない。
自分の努力が活きる場所を探し、自分に足りない文化資本を少しずつ補いながら、土俵を見誤らないようにするのが大切なんじゃないかなと思います。
おしまい。








