「いい人」に全部任せては、なぜいけないのか

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

突然ですが、こんな想像をしてみてください。

ものすごく有能で、人格も立派なリーダーが現れたとします。判断は的確、私欲もない、みんなから信頼されている。ならばいっそ、この人にすべての権限を渡してしまえば、会議も調整も要らず、物事はサクサク進むのではないでしょうか。

実際、「決められる政治」「強いリーダー待望論」は、いつの時代も人気があります。手続きばかりで何も決まらない組織にうんざりした経験は、誰にでもあるはずです。

ところが約300年前、この「いい人に全部任せる」という発想に、真っ向から待ったをかけた人物がいます。フランスの思想家シャルル・ド・モンテスキューです。

彼の答えは、身も蓋もないものでした。

権力を持つ者は、それを濫用しがちである。だから権力には、権力でブレーキをかけなければならない

いい人かどうかは関係ない。人間である限り、権力を持てば濫用へ傾く危険がある。だから権力は、最初から分けておかなければならない。

この考え方が「三権分立」となり、今や世界中の国の設計図になっています。日本国憲法も、アメリカ合衆国憲法も、この思想の上に建っています。今日は、この「人間への深い諦め」から生まれた大発明の話です。

コケ丸
コケ丸
いい人でもダメなのか? それ、人間不信すぎないか
よしたか
よしたか
そこがポイントなんだよ。モンテスキューは人間を憎んでいたんじゃなくて、人間をよーく観察した結果、「性善説でも性悪説でもない、第三の答え」にたどり着いたんだ

モンテスキューについて

シャルル・ド・モンテスキューは1689年、フランス・ボルドー近郊の貴族の家に生まれました。

面白いのは彼の本業です。哲学者や文筆家である前に、彼はボルドー高等法院の裁判官でした。しかも、その職を親族から相続したのです。当時のフランスでは、裁判官の職は売買や相続ができる「財産」でした。今の感覚では驚きですが、これが絶対王政期フランスの現実です。

つまりモンテスキューは、権力について書斎で夢想した人ではありません。権力を行使する側の椅子に、実際に座っていた人なのです。裁判の現場で、法がどう運用され、どう歪められうるかを、内側から見続けた。彼の権力論のリアリティは、この実務経験から来ています。

そんな彼が38歳のとき、思い切った決断をします。裁判官の職を売却し、その資金でヨーロッパ各国を3年かけて旅して回ったのです。オーストリア、イタリア、ドイツ、オランダ、そしてイギリス。各国の政治制度を、自分の目で見て比較して回りました。

いわば、政治制度の食べ歩きです。この旅の見聞が、のちの大著『法の精神』の材料になります。

ちなみに彼、匿名で出版した風刺小説『ペルシア人の手紙』が大ヒットした流行作家でもありました。ペルシア人の旅行者の目を通してフランス社会を皮肉るという趣向で、パリ社交界の話題をさらっています。堅い学者ではなく、ウィットの効いた観察者。それがモンテスキューという人でした。

20年かけた大著と、イギリスでの発見

『法の精神』は1748年に出版されました。構想から完成まで、実に20年。晩年のモンテスキューは視力をほとんど失いながら、秘書に口述筆記させてこの大著を完成させています。

この本の何が新しかったのか。

それまでの政治論は、「理想の国家はこうあるべきだ」という演繹的な議論が主流でした。モンテスキューは逆をやりました。世界中の国々の法律と制度を集め、気候、風土、宗教、商業との関係まで含めて比較分析したのです。「べき論」ではなく、観察と比較。政治学に社会科学の方法を持ち込んだ元祖と言われるゆえんです。

そして彼が旅の中で最も注目したのが、イギリスの制度でした。

国王がいて、議会があって、裁判所がある。それぞれが別の主体として、互いに牽制し合っている。フランスの絶対王政、つまりルイ14世の「朕は国家なり」の世界とはまるで違う仕組みが、そこでは動いていました。

この観察から、彼はあの有名な理論を打ち立てます。

三権分立 ― 権力で権力を止める発明

モンテスキューの理論の核心は、権力を3つに分けることです。

立法権。ルールを作る力。
行政権。ルールを実行する力。
司法権。ルール違反を裁く力。

この3つが同じ手に握られたとき、何が起きるか。ルールを作る人が、自分でそれを執行し、自分で裁くのです。都合の悪いルールは作らない。自分の違反は裁かない。誰にも止められない。モンテスキューはこれを端的に「すべてが失われる」と表現しました。

では、どう防ぐか。ここからが彼の発明の真骨頂です。

彼は「権力者に道徳を説く」ことをしませんでした。「良心に期待する」こともしませんでした。彼の答えは、「権力が権力を抑止するように、事物を配置すること」。

つまり、人間の善意に頼るのではなく、仕組みの側に抑止を組み込むのです。立法・行政・司法がお互いを見張り合う配置にしておけば、誰かが暴走しようとしても、他の権力がブレーキになる。個人の野心は消せない。ならば、野心と野心をぶつけて相殺させればいい

性善説は「人は善だから任せよう」。性悪説は「人は悪だから罰しよう」。モンテスキューは第三の道です。「人は権力を持てば濫用する。だから、濫用できない構造を作ろう」。人間を変えるのではなく、配置を変える。この発想の転換こそ、彼の最大の遺産です。

コケ丸
コケ丸
道徳の問題を、設計の問題にすり替えたのか。なんか、発想がエンジニアっぽいな
よしたか
よしたか
まさにそれ。「いい人を探す」のは運任せだけど、「濫用できない仕組み」は再現性がある。この理論はやがて海を渡って、アメリカ建国の設計図になるんだよ

事実、『法の精神』はアメリカ建国の父たちの愛読書となり、1787年のアメリカ合衆国憲法は三権分立を国家の骨格に据えました。大統領(行政)、連邦議会(立法)、最高裁判所(司法)が互いに牽制し合う仕組みは、モンテスキューの理論の実装です。日本国憲法の三権分立も、この系譜の上にあります。

ちなみに日本の「司法」も大きな権力の一つであるため、正常に機能しているのかどうかを監視できるように裁判所には傍聴席が設けられています。僕が法廷画を描くときにいつも座っている席ですね。特にメディアが注目するような裁判でないかぎり、誰でも法廷に入って裁判を見学できます。興味のある方は「国民の知る権利」を行使するためにも是非どうぞ。

こうして、300年前のフランス人裁判官の思考が、今も世界中の国の背骨として稼働しているんですね。思想の耐用年数として、これは驚異的だと思います。

この原理は、会社にも家庭にもある

さて、三権分立を「政治の教科書の話」で終わらせないのが、ちょい歴!です。この原理、実は僕たちの身の回りで毎日動いています。

会社を見てください。営業が取ってきた契約を、経理がチェックし、監査が全体を見張る。現場と管理部門が別れているのは、非効率のためではありません。「お金を使う人と、お金を数える人を同じにしない」という、小さな三権分立です。どんなに信頼できる社員でも、発注と検収と支払いを一人に任せる会社は、いずれ事故を起こします。本人が悪人だからではなく、チェックが働かない配置だからです。

出版や制作の世界も同じです。書き手がいて、編集者がいて、校閲がいる。僕のイラストの仕事でも、描き手の僕とは別に、ディレクターやクライアントのチェックが入ります。正直、面倒だなと思う日もあります。でもモンテスキューを読むと、この面倒くささの意味がわかります。牽制の摩擦は、暴走を防ぐためのコストなのです。

逆に言えば、「あの人に全部任せておけば大丈夫」という状態は、どれだけその人が優秀でも、構造としては危険信号です。ワンマン経営の会社が創業者の老いとともに傾くのも、優秀な担当者の不正が何年も発覚しない事件も、根っこは同じ。属人的な信頼で、構造の牽制を代用してしまった結果です。

そしてこれは、自分自身にも当てはまります。フリーランスの僕には上司も監査もいません。つまり三権が全部、自分に集中しています。だから僕は、確定申告は税理士に、契約の不安は専門家に、原稿はChatGPTなどのAIに添削させるという形で、意識的に「自分を見張る他人の目」を配置するようにしています。自分の善意や自制心を過信しない。これも小さなモンテスキュー主義です。

コケ丸
コケ丸
たしかに「オレは大丈夫」って思ってるときが、一番危ないのかもな……
よしたか
よしたか
モンテスキューなら「あなたが特別ダメなんじゃない、人間とはそういうものだ」と言ってくれるよ。だから責めずに、配置で解決しようってね

最後に ― 信頼するからこそ、仕組みで守る

権力分立という思想は、一見、人間への不信に満ちて見えます。

でも僕は、逆だと思うのです。

あなたは特別な聖人だから大丈夫」と全権を渡すことは、実はその人を「濫用の誘惑」という重荷の前に、たった一人で立たせることです。歴史上、その重みに耐えきれた人はほとんどいません。権力の座についた瞬間から人が変わっていく事例を、僕たちは歴史でもニュースでも、嫌というほど見てきました。

一方、最初から牽制の仕組みを置くことは、「人間は誰でも間違えうる」という前提で、その人を誘惑から守ることでもあります。仕組みで縛ることは、不信の表明ではなく、人間の弱さへの思いやりの一形態なのです。

視力を失いながら20年かけて大著を書き上げた元裁判官は、人間に絶望していたのではありません。人間の限界を直視したうえで、それでも社会がうまく回る方法を、執念深く設計した人でした。

「いい人を探す」のではなく、「誰がやってもひどいことにならない仕組みを作る」。

300年前のこの知恵は、国家にも、会社にも、そして自分ひとりの仕事の回し方にも、今日からそのまま使えるのです。

よしたか
よしたか
以上、モンテスキュー『法の精神』にまつわるお話でした

おしまい。




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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。