なぜ横綱は「綱」を締め、力士は塩をまくのか ― 相撲に残る神事の歴史
僕が相撲の見方を変えたのは、意外な場所でした
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
僕が相撲を見る目を変えたのは、相撲中継を見ている最中ではなく、20代の頃に訪れた、さだまさしさんのコンサートでした。
さださんのコンサートは、曲と同じくらいトークが長いことで有名です。その日のトークの中で、さださんは相撲について語りました。たしか朝青龍一強時代の話だったと記憶しているので、2005年くらいだったと思います。
いつも通り面白おかしく語ってくれて、笑いながら聞いていたのですが、なぜ最高位を「横綱」と呼ぶのか、土俵の下には何が埋められているのか、そして、相撲には神事としての長い歴史があることを語ってくれて、それがとても印象に残ったのでした。
塩をまくのが「清め」のためだとは、僕も知っていました。でも、なぜ戦う場所を清める必要があるのかまでは、当時考えたことがなかったのです。
横綱の綱も、土俵の塩も、地中の供物も、すべて同じところにつながっていた。あのとき味わった「ああ、だからなのか」という合点を、今日は皆さんにお話したいと思います。
僕たちは今日、相撲をスポーツとして見ています。しかし、その所作を一つひとつたどると、土俵の上には今も神事の記憶が残っているのです。
相撲には、豊作を祈る神事としての歴史がある
相撲の源流は、ひとつではありません。神話に語られる力比べ、宮廷の年中行事、武士の鍛錬、江戸の興行。いくつもの流れが合わさって、今の大相撲になっています。
その中でも古い層にあるのが、神事としての相撲です。
古くから日本各地の神社では、豊作を祈り、あるいはその年の実りを占うために相撲が奉納されてきました。力士が神前で力を尽くすことが、神様への捧げものだったのです。今も各地の神社に「奉納相撲」が残っているのは、この系譜です。
つまり相撲の土俵は、単なる競技場である前に、神様に捧げる儀式の場という性格を持っていました。ここを押さえると、あの不思議な所作の数々が、一気に意味を持ち始めます。
神話の中で、最初に相撲を取ったのは神様だった
相撲の起源をさらにさかのぼると、神話の世界に行き着きます。
日本最古の史書である『古事記』には、建御雷神(たけみかづちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)という二柱の神が、力比べをした場面が描かれています。
天照大御神の使者として出雲にやって来た建御雷神は、大国主神に国を譲るよう迫りました。すると大国主神の子である建御名方神が現れ、「それならば、力比べをして決めよう」と挑みます。日本相撲協会も、この神話を相撲の起源の一つとして紹介しています。
ただし、ここで描かれているのは現代の大相撲のような競技ではありません。原文の表現も「力競(ちからくらべ)」です。しかし、向かい合った二人が互いの力を比べ、勝敗によって国の行方が決まるという構図は、後世の相撲を思わせます。
だからこそ、この神話は相撲の起源として語られてきました。
相撲は、最初から娯楽やスポーツとして登場したのではありません。神々が力を競い、その結果が国の支配や秩序に結びつく物語として現れます。相撲が単なる腕力の勝負ではなく、神聖な場で行われるものと考えられてきた背景には、このような神話もあるのでしょう。
では、人間同士の相撲として最も古い記録は何でしょうか。
『日本書紀』には、垂仁天皇の時代、出雲の野見宿禰と大和の当麻蹴速が天皇の前で力を競ったという話が登場します。二人は組み合うだけでなく、蹴りや投げを交えた激しい勝負を行い、最後は野見宿禰が勝ったとされています。
ただし、これは紀元前23年頃の出来事として書かれた伝説であり、現代の史料によって確認できる実戦記録ではありません。神話の建御雷神・建御名方神が「神々の力比べ」なら、野見宿禰・当麻蹴速の物語は「人間の力士による最古の相撲伝説」といえるでしょう。
塩をまくのは、土俵が「祭場」だから
力士は取組の前に、塩をまきます。一日にまかれる塩の量は、場所中の全体で相当な量にのぼるといわれます。
なぜ塩なのか。日本では古来、塩は穢れを祓い、場を清めるものとされてきました。葬儀のあとの清め塩、店先の盛り塩。あの感覚と同じです。
では、なぜ土俵を清める必要があるのか。ここが、僕がさださんのトークで膝を打ったところです。
土俵が、神様を迎える神聖な場所だからです。
ただの競技場なら、清める必要はありません。神事の場だからこそ、力士たちは塩で場を清め、身を清めてから上がる。力水で口をすすぐのも、四股を踏んで地中の邪気を鎮めるとされるのも、すべて同じ発想の上にあります。僕たちが「お相撲さんの仕草」として見慣れているものは、祭場に入るための作法の名残なのです。
ちなみに、塩をまくことが許されているのは、すべての力士ではありません。大相撲では、原則として十両以上の力士が塩をまきます。幕下以下の取組では、力士が塩を取りに土俵の外へ出る場面がない。
テレビ中継で塩まきが印象に残るのは、関取以上の取組を見ているからでもあるのです。
土俵の下には、六つの供物が埋まっている
その「祭場」であることを、もっとはっきり示す事実があります。
本場所の前には「土俵祭」という儀式が行われます。祭主が祝詞を上げ、土俵の無事と興行の安全を祈る。そしてこのとき、土俵の中央に「鎮め物(しずめもの)」として供物が埋められるのです。
その中身は、勝栗、洗米、昆布、スルメ、塩、カヤの実。
縁起物の六品です。勝栗は「勝つ」、昆布は「よろこぶ」に通じる縁起物です。洗米と塩は清め、スルメは日持ちすることから末永さを思わせます。カヤの実については、古くから神事や祭礼と結びついてきた植物でした。
土俵の下に納められているのは、単なる食べ物ではありません。勝利、安全、清め、喜び、長久を願う、小さな縁起物の組み合わせなのです。
結納の品にも通じるような、晴れの儀式の供物が、力士たちの足の下に納められているんですね。供物はかわらけ(土器)に入れ、奉書紙で包んで納め、御神酒を注ぐことで清められているといいます。つまり大相撲の土俵は、文字通り供物を納めた祭壇の上なのです。
ちなみに土俵祭は、供物を埋めて終わりではなく、儀式の最後には、呼出が太鼓を打ちながら土俵の周囲を三周する「触れ太鼓」が行われます。
太鼓の音を土俵の周囲に響かせることで、これから本場所が始まることを場内に知らせる。土俵の地下に供物を納め、祝詞を奏上し、最後に太鼓の音で外の世界へ知らせる。土俵祭には、そんな始まりの儀式としての流れもあるのですね。
「横綱」とは、地位の名前ではなく縄のことだった
さて、いよいよ横綱です。
横綱土俵入りを思い出してください。横綱の腰には、太く白い綱が締められ、そこに白い紙がジグザグに垂れ下がっています。
あの綱の正体は、注連縄(しめなわ)です。垂れ下がる白い紙は「紙垂(しで)」。神社の鳥居や御神木に張られている、あれと同じものです。
そして、ここに驚きの順序の逆転があります。
「横綱」とは、もともと最高位の地位の名前ではありませんでした。腰に締める、あの太い綱と、それを締めて土俵入りをする資格を指したのです。
1789年、江戸後期、谷風と小野川という二人の強豪力士が横綱免許を授けられ、綱を締めた一人土俵入りを披露しました。しかし、当時の番付上では二人とも大関です。「横綱」が番付上の地位として定着するのは、もっと後のことでした。
つまり、最高位だから綱を締めるのではありません。順序は逆で、神聖な綱を締めることを許された特別な力士を、「横綱」と呼ぶようになったのです。
注連縄の意味を考えると、この特別さの中身が見えてきます。神社では、注連縄は神聖な領域と日常の世界を分ける印です。鳥居に張れば「ここから先は神域」、御神木に巻けば「この木そのものが神聖」。
では、その縄を自分の腰に巻いている横綱はどうなるでしょうか。注連縄の内側にいるのは、横綱自身です。神社では御神木に巻かれる縄を、横綱は我が身に締めて土俵へ上がる。横綱は、単なるランキングの一位ではなく、注連縄によって神聖な存在として区別される力士なのです。
横綱に品格が求められるのも、成績が落ちれば降格ではなく引退を選ぶ慣習も、この「神聖なものを身にまとう存在」という性格を知ると、腑に落ちるところがあります。
女人禁制は「太古からの一貫した伝統」ではない
相撲の神事性の話をすると、必ず出てくるのが「だから土俵は女人禁制なのか」という話題です。ここは、少し丁寧に見ておきたいところです。
現在の大相撲では、女性は土俵に上がれないことになっています。この理由について「相撲は神事で、女性は穢れとされたから」と一行で説明されることがありますが、これは正確ではありません。日本相撲協会自身が、女性を不浄とみなす考え方が根拠だという説明を否定し、神事を起源とする大相撲の伝統、男性力士の神聖な戦いと鍛錬の場であることを理由として挙げています。
一方で、歴史をたどれば、女相撲の興行が行われていた時代もあります。つまり「相撲は神事だから、太古から一貫して女性が排除されてきた」とは言えないのです。
現在の女人禁制がいつ、どのように「伝統」として固まっていったのかは、それ自体がひとつの歴史のテーマです。確かなのは、伝統というものは太古から不変の形で続くのではなく、歴史の中で作られ、選ばれ、固められていくものだ、ということです。
土俵の女人禁制は、その是非をめぐって現代も議論が続いています。この記事では結論を出しませんが、「神事だから当然」と「ただの差別だ」のどちらの一行で済ませるのも、歴史に対して誠実な態度とはいえないと思います。
スポーツになっても、神事の形だけは残った
江戸時代に相撲は興行として発達し、番付や力士集団が整えられていきました。明治以降には組織や制度が近代化され、20世紀に入ると優勝制度が生まれ、相撲は近代スポーツの体裁を整えていきます。やがてラジオやテレビで全国へ中継されるようになります。現在では外国出身力士も数多く活躍する国際的な競技になりました。
それでも、神事の形は残り続けています。
場所前には今も土俵祭が行われ、供物が埋められます。力士は塩をまき、横綱は注連縄を締めて土俵入りをする。合理性だけを考えれば、これらは省略されても不思議はありませんでした。実際、競技の実施と勝敗にはまったく関係ありませんしね。
でも、残りました。競技としての相撲が近代化する一方で、「土俵は神聖な場である」という古い記憶は、所作という形で受け継がれ続けたのです。スポーツと古代の神事がこれほど明確に同居したまま現代まで走ってきた競技は、かなり珍しい存在だと思います。
最後に ― 横綱の腰の綱を、見てほしい
今度、テレビで横綱土俵入りを見るときは、ぜひ腰の綱を見てください。
それは強さを誇示するチャンピオンベルトではありません。神社の御神木にも巻かれている、神聖なものと日常の世界を分ける縄です。
塩で清められた土俵は、ただの競技場ではありません。その地下には、勝栗や昆布やスルメといった供物が、静かに納められています。
横綱は、相撲がスポーツになるより前から受け継がれてきた神事の記憶を、その身体に巻いて土俵へ上がるのです。
どうでしょう。「横綱」という言葉が、以前とは少し違って聞こえてきませんか。
僕が20代の日、コンサート会場で味わったあの「そういうことだったのか!」を、この記事で少しでもお裾分けできたなら嬉しいです。
おしまい。






