アインシュタインが信じた「スピノザの神」

こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。

1929年、ニューヨークのユダヤ教指導者が、アインシュタインに電報でこう尋ねました。

あなたは神を信じますか」。

世紀の天才の答えは、こうでした。

私はスピノザの神を信じる

スピノザの神。妙な言い回しです。神に種類があるのでしょうか。
実はこの「スピノザの神」こそ、17世紀のヨーロッパを震撼させ、一人の青年をきわめて苛烈な破門に追い込み、そして300年後の物理学者の心を捉えた、危険で美しい思想なのです。

今日はその持ち主、バールーフ・デ・スピノザの話をします。先に言っておくと、この人、知れば知るほど好きになる人物です。

コケ丸
コケ丸
神に「スピノザの」って付くのが、気になって仕方ないぞ
よしたか
よしたか
その謎は後で解けるから、まず彼の身に起きた事件から話させて。23歳のとき、彼はとんでもない言葉を浴びせられるんだ

23歳、史上最も激しい破門

スピノザは1632年、オランダ・アムステルダムのユダヤ人商家に生まれました。神童と呼ばれ、将来はラビ(宗教指導者)にと期待された優等生です。

ところが1656年、23歳のスピノザに、ユダヤ人共同体は破門を宣告します。その文面が、記録に残る破門状の中でも突出して苛烈でした。

彼は昼も呪われ、夜も呪われよ。寝るときも呪われ、起きるときも呪われよ。出るときも呪われ、入るときも呪われよ。誰も彼と口をきいてはならず、文書を交わしてはならず、同じ屋根の下にいてはならない」

親族との縁も、育った世界のすべても、この日に断たれました。一説には、共同体側は破門の前に「沈黙を守るなら年金を出す」と持ちかけたとも伝えられています。23歳の青年はそれを断り、追放を受け入れました。

いったい彼は、何を言ってしまったのでしょうか。

彼が言ってしまったこと ― 神は、罰しない

スピノザの思想の核心は、たった一言で表せます。

神とは、自然そのものである

これが「神即自然」、アインシュタインの言った「スピノザの神」です。

普通の神のイメージを思い浮かべてください。天にいて、人間を見守り、祈りを聞き、善人に褒美を、悪人に罰を与える存在。スピノザはこれを、人間が自分に似せて想像した神にすぎない、と考えました。本当の神とは、宇宙の法則と秩序そのもの。この世界の外に立つ人格ではなく、世界そのものだ、と。

一見、穏やかな思想に聞こえます。でも、当時の社会でこれが何を意味したか、考えてみてください。

神が自然の法則そのものなら、神は祈りを聞きません。奇跡も起こしません。死後に裁きもしません。つまり、天国を約束し地獄で脅すことで人々を導いてきた宗教的権威の、土台を揺さぶる思想でした。

ユダヤ教にとってもキリスト教にとっても、これは根元を切る思想でした。破門の激烈さは、恐怖の裏返しだったのです。事実、彼の著書は死後も禁書とされ、「スピノザ主義者」という言葉は約100年間、ヨーロッパで「危険人物」とほぼ同義の悪口として使われ続けました。

コケ丸
コケ丸
なるほど、「静かな爆弾」ってわけか。でも本人はそんな危険思想家って感じの人だったのか?
よしたか
よしたか
それがね、正反対なんだよ。ここからが僕がスピノザを好きな理由なんだけど

ベッド一台だけ受け取った男

破門後のスピノザの人生には、彼の人柄を伝える逸話がいくつも残っています。

父の遺産をめぐって、姉が彼の相続分を奪おうとしたことがありました。スピノザは裁判を起こし、勝訴します。そして勝った直後、遺産のほぼすべてを姉に譲り、自分はベッドを一台だけ受け取ったと伝えられています。

彼が争ったのはお金のためではなく、不正を不正のまま通さないため。筋は通す、でも物は要らない。この人の性格が一発でわかる話です。

生計はレンズ磨きで立てました。彼の磨くレンズは品質が高く、当時の科学者たちからも注文が入ったといいます。やがて彼の思想は知る人ぞ知るものとなり、ドイツの名門ハイデルベルク大学から教授職の招きが届きます。安定した地位と名誉。彼の返事は、丁重な辞退でした。理由は「哲学する自由が制限されるかもしれないから」。

スピノザが手紙に押していた印章には、バラの花と一語が刻まれていました。「Caute」、ラテン語で「用心深くあれ」。

時代が自分の思想を受け入れないことを、彼は正確に理解していたのです。だから主著『エチカ』(ラテン語で倫理学の意)も生前は出版せず、原稿は死後、友人たちの手でひそかに世に出されました。

コケ丸
コケ丸
裁判に勝ってベッドだけ持って帰るって、かっこよすぎるだろ
よしたか
よしたか
世界中から呪われた人が、誰よりも穏やかに、欲なく生きた。この落差がスピノザの魅力なんだよ。そしてその穏やかさの秘密が、『エチカ』に書いてあるんだ

『エチカ』には何が書いてあるのか

『エチカ』は5部構成で、

①神(世界の仕組み)
②精神
③感情
④人間はなぜ感情に隷属するか
⑤どうすれば自由になれるか

という順で進みます。壮大な宇宙論から始まって、着地点は「人はどう生きれば穏やかでいられるか」。つまりこれは、呪われた男が自分のために書いた、心の取扱説明書でもあるのです。

そして書き方が異様です。定義、公理、定理、証明。まるで数学の教科書のように、感情や幸福を幾何学の形式で証明していく。「憎しみ」や「嫉妬」が、三角形の内角の和と同じ調子で淡々と分析される。感情を、責めるでも嘆くでもなく、自然現象として観察する。この態度こそ、彼の哲学の心臓部です。

スピノザの自由について、よく知られたたとえがあります。

空中に投げられた石が、もし意識を持っていたら、石はこう考えるかもしれません。

自分は、自分の意思で飛んでいる

でも実際には、石は投げた人の力と、重力と、空気の抵抗によって動いているだけです。自分を動かしている原因を知らないから、自分は自由に飛んでいると思い込んでしまう。

スピノザは、人間もこれとよく似ていると考えました。腹が立ったから言い返す。不安だから逃げる。認められたいから無理をする。本人は「自分で決めた」と思っていても、実際には感情や欲望に押されて動いているだけかもしれません。

自由とは、何の原因もなく好き勝手に動くことではないんですね。自分を動かしている原因を理解し、そのうえで動き方を選べることなのです。

では、僕たちを内側から動かしている力とは何なのか。
そこで出てくるのが、スピノザの中心概念「コナトゥス」です。

コナトゥス ― 喜びと悲しみは「力のメーター」である

コナトゥスとは、「あらゆるものが持つ、自分であり続けようとする力」のことです。

石が形を保つのも、植物が光へ伸びるのも、僕たちが夜食を我慢できないのも、批判されるとつい言い返したくなるのも、ぜんぶコナトゥスの働きです。生き物は、自分の存在を保ち、できれば拡大しようとする。これが人間の一番底で動いているエンジンだとスピノザは言います。

そしてここからが、この記事でいちばん持ち帰ってほしいところです。スピノザは、感情をこう定義しました。

喜びとは、自分の力が増大したときに感じるもの。悲しみとは、自分の力が減少したときに感じるもの

つまり感情とは、良いとか悪いとかいう道徳の問題ではなく、自分の生きる力が今どちらに動いたかを示すメーターの針なのです。

これ、具体的に使えます。たとえば、ある人と会った後、なぜかどっと疲れて、何もする気が起きない。理屈では「いい人だし、付き合うべき相手」と思っていても、メーターは悲しみ側に振れている。それは、その関わりが自分の力を削っている、というデータです。逆に、絵を一日中描いて 肉体的には疲れているのに、心は妙に元気だ。メーターは喜び側。それは自分の力が増える活動だという証拠です。

スピノザは、僕たちの直感をひっくり返すことも言っています。「僕たちは、良いものだから求めるのではない。求めるから、それを良いと呼ぶのだ」。つまり「良い・悪い」の看板は当てになりません。当てになるのは、実際に関わってみたあとの、メーターの針だけなのです。

もちろんこれは、「欲しいものは何でも正しい」という意味ではありません。僕たちは、自分の欲望や感情を通して世界に価値をつけている、という話です。

針を見て、暮らしを組み替える

だからスピノザの実践は、「感情を抑えろ」ではありません。むしろ逆で、「感情をデータとして読み、喜びが増える出会いを増やし、悲しみが増える出会いを減らすように、生活を組み替えよ」です。

仕事で言えばこうなります。終わったあと消耗しか残らない付き合い、開くたびに気持ちが沈むSNS、削られるだけの案件。これらは針が教えてくれている「力を減らす出会い」です。一方で、時間を忘れる作業、話すと頭が動き出す相手、終わって疲れても妙に満ちている仕事。これが「力を増やす出会い」。

一度に人生は変えられなくても、針の記録は今日からつけられます。今週、自分の力を一番増やしたものは何か。一番減らしたものは何か。それを少しずつ入れ替えていく。スピノザの言う自由とは、この地道な組み替えの先にある、「自分の力が十分に発揮されている状態」のことなのです。

怒りも、同じです。

怒りは「自分の力が削られた」と感じたときに鳴る、強い警報のようなものです。だから怒りそのものを悪者にする必要はありません。

ただし、警報が鳴った瞬間に、そのままハンドルを切ってしまうと危ない。相手に言い返す。SNSに書く。勢いで仕事を断る。強い言葉を投げる。それは自由に動いているようで、実は怒りに運転席を明け渡している状態です。

大事なのは、怒りを消すことではなく、「今、自分の何が脅かされたのか」を読むことなんですね。そのあとで行動を選ぶことが「自由」につながります。

最後に ― 呪われた男は、穏やかに死んだ

スピノザは1677年、44歳で亡くなりました。レンズ磨きで吸い込んだガラスの粉塵が肺を蝕んだと言われています。最期は取り乱すこともなく、下宿の主人一家が教会に行っている日曜の午後、静かに息を引き取ったと伝えられます。

多くの人々から危険視され、呪われた男が、誰も呪い返さず、穏やかに生き、穏やかに死んだ。彼にそれを可能にさせたものこそ、感情を憎まず、メーターとして読み、喜びの側へ静かに舵を切り続けるという、『エチカ』の実践だったのだと思います。

皆さんの今週のメーターは、何で振れたでしょうか。

その針は、誰に遠慮することもない、皆さんだけの羅針盤です。

よしたか
よしたか
以上、スピノザ『エチカ』にまつわるお話でした

おしまい。

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榎本 よしたか
フリーランス歴20年の歴史好きイラストレーター。 歴史や哲学、幸福論をテーマに、現代の仕事や組織に通じるヒントを考えるブログです。 戦国時代、幕末、近代、そして古代思想まで。時代や国を越えて、人間の選択と意思決定の構造を見つめ直します。