「完璧な材料が揃ったら」は、永遠に始まらない ― レヴィ=ストロースのブリコラージュ論
「材料が揃ったら始めよう」は、永遠に始まらない
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
何か新しいことを始めようと思った時、こう思うことってありますよね。
「もう少し情報が集まってから」
「予算が確保できたら」
「もっと実力がついたら」
でもその「ちゃんとした条件」は、なかなか揃わず、気づけば何も始まっていない……。
そんなときに読みたい思想家がいます。20世紀フランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロースです。
神話と構造を分析した人類学者
クロード・レヴィ=ストロースは1908年生まれのフランスの人類学者です。若い頃にブラジルへ渡って先住民社会のフィールドワークを行い、その後「構造主義」と呼ばれるアプローチで人類学の世界を刷新しました。神話や親族構造を分析し、「どの文化にもそれぞれの論理がある」ことを示した人物です。
ブラジルでのフィールドワークをもとに書いた『悲しき熱帯』は、彼の代表作のひとつです。「これは科学書か、旅行記か、哲学書か」と評者を悩ませる本で、フランス語圏では20世紀の名著のひとつとして今も読み継がれています。「ブラジルの密林に入り、熱帯の夕暮れを眺めながら文明を問い直す」という書き出しは、人類学書としては異例の美しさです。
1908年生まれで2009年に亡くなった彼は、100歳まで生きた人物でもあります。第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、冷戦も、インターネットの誕生も、すべて目撃した20世紀の証人です。
その彼が1962年に発表した著作こそが、今回のテーマ『野生の思考(La Pensée sauvage)』です。この本をめぐって、当時フランス最大の知識人だったサルトルと激しい論争が起きました。サルトルが「歴史の中で人間は自由に選択し、実践することで世界を変えていく」と主張したのに対し、レヴィ=ストロースはこう批判します。「その見方は西洋中心的な進歩史観にすぎない。人間はそんなに自由ではなく、人類の思考や社会はもっと深い「構造」によって支配されている」と。前回のサルトル記事の「自由の刑」という言葉を思い出してもらえると、この論争の構図が少し見えてくるかもしれません。
「野生の思考」は、劣っているのか
『野生の思考』でレヴィ=ストロースが反論しようとしたのは、「先住民の思考は遅れている」という当時の常識でした。だからサルトルの言う「進歩」に対し西洋至上主義的だと批判したのですね。
先住民の神話や儀礼を長年研究していた彼はこう気づきます。彼らの思考は「野蛮」でも「未発達」でもない。西洋の科学的思考とは異なるが、それ自体として完成した論理体系を持っている。野生(sauvage)という言葉は、フランス語では「荒々しい・未開の」という意味ですが、レヴィ=ストロースはあえてこの言葉を使いました。「制度によって管理される前の、自由な状態の思考」という意味を込めて。
そしてこの「野生の思考」を特徴づける概念として登場するのが、「ブリコラージュ(bricolage)」です。
ブリコラージュとエンジニアリング
レヴィ=ストロースはふたつの思考様式を対比させます。「エンジニア」と「ブリコルール(ブリコラージュする職人)」です。
エンジニアは目的から始めます。「何を作るか」を決めたら、それに最適な素材を調達し、設計図通りに組み上げていく。必要な道具は新しく発注する。あくまで目的が先で、素材はあとからついてくる。
一方、ブリコルールは逆の順序で動きます。まず手元にある素材を眺める。「これとこれを組み合わせたら何かできそうだ」と考える。目的は後から生まれることもある。設計図よりも、手元の素材が思考をリードする。
どちらが優れているというわけではない。でもレヴィ=ストロースは、このブリコラージュこそが「野生の思考」の本質であり、神話的・創造的な知性の核心だと言いました。
仕事と創作の中のブリコラージュ
ここからが、この記事でいちばん伝えたいことです。
「ちゃんとした素材が揃ったら企画を出そう」
「完璧な提案書が書けたら動こう」
「もっと実力がついたら挑戦しよう」
これらはすべて、エンジニア的な発想と言えますね。設計図が完成してから動こうとしているわけです。
でも現実の仕事や創作の現場は、たいていそんなふうにいきません。予算は足りない、時間もない、情報も不完全。完璧な条件が整うことは、ほとんどない。
そのとき、ブリコルール的に考えられる人は強い。「いまここにあるもので、何が作れるか」を問う。半端な素材を組み合わせて、まず動かしてみる。足りないものを嘆くより、あるものを活かす方向で知恵を絞る。走りながら考えるということですね。
ブリコラージュの極端な例として、1970年のアポロ13号の話があります。月に向かう途中で酸素タンクが爆発し、乗組員3人の命が危険にさらされた事故です。NASAの地上チームが乗組員に送ったメッセージは「船内にあるものだけを使え」というものでした。そして乗組員たちは、宇宙船の中にある袋・パイプ・カードボード・テープだけで二酸化炭素除去装置を組み上げ、地球に帰還しました。完璧な素材などない状況で、手元のものを組み合わせた──まさに究極のブリコラージュです。
スタートアップがよくやるMVP(最小限の製品)の発想も、本質的にはブリコラージュです。完璧なものを作り込む前に、手元のもので試せる形を作ってみる。プロトタイプをとにかく触れる形にしてフィードバックをもらう。
イラストレーターとして個人的に共感するのは、創作の現場でこれが特によく起きるということです。「もっといい環境があれば」「まとまった時間があれば」と考え始めると止まらない。でも実際には、いまの道具と今日の数時間で、何かを形にするしかない。そういう制約の中で生まれたものが、意外と面白かったりするんです。
「野生」でいることの強さ
完璧な条件を待つより、いまある素材で考え始めること。レヴィ=ストロースのブリコラージュ論は、そんな当たり前で難しいことを思い出させてくれます。
アーレントが「考えることをやめるな」と言い、サルトルが「選ぶことから逃げるな」と言ったなら、レヴィ=ストロースは「手元のもので組み立てることを恐れるな」と言っているのかもしれません。
「完璧な材料が揃ったら」と思い続けることは、裏返せば「何もしない」という選択を毎日し続けることです。ブリコルールは待ちません。まず今日の素材を眺めて、動き始めます。その一歩が、エンジニアには思いつかなかった何かを生み出すことがある。
100年間、世界の変化を見届けたレヴィ=ストロースが最後まで問い続けたのは、「人間はどんな状況でも考える力を持っている」ということだったのかもしれません。条件が揃わなくても、手元のもので考えられる。それがブリコラージュのいちばんの強さです。
今日もし、新しいことをはじめようとして「もっと材料がそろってから……」と躊躇することがあれば、ブリコラージュについて思い出してみてください。レヴィ=ストロースの提唱する「野生の思考」がそっと背中を押してくれるかもしれません。
次回は、この構造主義をさらに更新したミシェル・フーコーの話に進みたいと思います。「私たちが”当たり前”だと思っている知識や制度そのものが、権力によって作られたものではないか」という、少し不穏な問いです。
おしまい。




