なぜ「自分は知らない」と知ることが大切なのか ― ソクラテスと問い続ける人生
この記事は、ちょい歴!の100本目です
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
私事で恐縮ですが、この記事が「ちょい歴!」の100本目の記事になります。
哲学者、実業家、発明家、生活史、雑学。ずいぶんいろいろな話を書いてきました。それで賢くなったかと言われると、正直、まったく自信がありません。むしろ書けば書くほど、はっきり実感することがあります。
知らないことが、増えていくーー。
一本調べるたびに、その周辺に「まだ何も知らない領域」が三つも四つも見えてくる。100本書いた今のほうが、始めた頃より無知を痛感しています。
この妙な感覚を、2400年前に徹底して考え抜いた人がいます。古代ギリシャの哲学者、ソクラテスです。
彼が到達した境地は、しばしば「無知の知」と呼ばれます。学校で習った記憶がある方も多いでしょう。でもこれ、「僕なんて何も知りませんよ」という謙遜の話だと思っていませんか。
実はまったく違います。これは現代の僕たちにとっても、かなり実用的な考え方なのです。100本目の記事として、この話を書きたいと思います。
ソクラテスは、一冊も本を書かなかった
まず、面白い事実から。
これほど有名な哲学者でありながら、ソクラテスは著作を一冊も残していません。
僕たちが知るソクラテスの姿は、弟子のプラトンや、軍人で著述家のクセノポン、さらには喜劇作家アリストパネスといった人々の記録を通じたものです。しかもプラトンの著作では、ソクラテスが主役として語り続けるため、どこまでが実在のソクラテスの思想で、どこからがプラトン自身の考えなのか、研究者の間でも議論が続いています。
いわば僕たちは、他人の証言を通してしかソクラテスを知りません。本人が書き残さなかったのは、彼にとって哲学が「書いて完結するもの」ではなく、人と向かい合って問い続ける行為そのものだったからでしょう。
ちなみに、外見についてはやや気の毒な記録が残っています。ずんぐりした体型に獅子鼻、出目。当時のギリシャ的な美の基準からはかけ離れており、本人もそれを笑いのタネにしていたと伝えられます。裸足で歩き回り、同じ粗末な服を着て、街角で誰彼かまわず議論をふっかける。街の名物男でもあったのです。
「ソクラテスより賢い者はいない」という神託
彼の人生を変えたのは、ある神託でした。
友人のカイレフォンが、デルフォイのアポロン神殿で「ソクラテスより賢い者はいるか」と尋ねたところ、神託の答えは「いない」だったというのです。
これを聞いたソクラテス本人が、いちばん困惑しました。自分は何ひとつ知恵など持っていない。神が嘘をつくはずもない。では、この神託は何を意味するのか。
そこで彼は、神託の意味を確かめるため、当時「賢い」と評判の人々を訪ね歩きます。政治家、詩人、職人。話を聞き、質問を重ね、その知恵を確かめていったのです。
そして彼は、ある共通の事実に突き当たります。
賢いはずの人々に、共通していたもの
政治家は、たしかに多くを語りました。しかし少し突き詰めて問うと、正義や善について、実は何も分かっていない。それでいて、自分は分かっていると信じ切っているのです。
詩人は素晴らしい作品を生みます。ところが作品について問いかけると、本人はしどろもどろ、むしろ周囲の人のほうがうまく説明できることさえあったといいます。ソクラテスは、彼らが知識によってというより、天分や霊感によって作品を生み出しているのではないかと考えました。
職人は違いました。彼らは自分の専門については、確かにソクラテスより優れた知識を持っています。ところが、その一つの技能に秀でているために、専門外の重大なことまで分かっているつもりになっていたのです。
ここでソクラテスは、神託の意味を悟ります。
自分も、彼らも、大切なことについては十分な知恵を持っていない。ただ違いがひとつだけある。彼らは知らないことまで知っていると思っているが、自分は知らないことを知っているとは思わない。そのわずかな違いにおいて、自分のほうが賢いのではないか。
これが、一般に「無知の知」と呼ばれている考え方です。ただし、ソクラテス自身が「私は自分の無知を知っている」と定式化したわけではありません。むしろ知ったかぶりをしないという態度に近いものです。
「分かったつもり」を、まず壊す
ソクラテスのやり方は、独特でした。
「正義とは何ですか」「勇気とは何ですか」「善く生きるとはどういうことですか」。彼は街の人々にそう問いかけます。相手が答えると、その答えの中にある矛盾を、また質問で突いていく。相手はさらに答え、また矛盾が現れる。それを繰り返すうち、相手はついに「自分は分かっていなかった」と認めることになります。
これが問答法、あるいは反駁法(はんばくほう/エレンコス)と呼ばれる方法です。
ソクラテスの問答で特徴的なのは、最初から正解を教え込むのではないことでした。相手の答えを問い直し、その前提や矛盾を露わにする。まず「分かっているつもり」を崩すところから始めたのです。
彼は自らの仕事を、母の職業になぞらえて「産婆術」と呼んだとも伝えられます。産婆は自分で子を産むのではなく、産む人を手助けする。同じように、自分は知識を与えるのではなく、相手が自分自身で気づくのを助けるのだ、と。
当然、めちゃくちゃ嫌われた
ここで冷静に考えてみてください。
街を歩いていると、粗末な身なりのおじさんが近づいてきて、「あなたは正義とは何かご存じですか」と聞いてくる。答えると、さらに質問が飛んでくる。答えるほど矛盾を突かれ、最後には人前で「自分は何も分かっていませんでした」と認めさせられる。
しかも周囲では、面白がった若者たちがそれを眺めている。
嫌われないわけがありません。
特に、社会的地位のある人ほど恥をかかされる形になりました。ソクラテス本人に悪意はなく、あくまで真理を求めての行為だったのですが、公衆の面前で権威を剥がされた側は、そうは思わなかったでしょう。
こうして彼は、街の有力者たちから深い恨みを買っていきます。喜劇作家アリストパネスの作品では、屁理屈をこねる怪しい学者として茶化されました。当時の彼が、どれほど毀誉褒貶の激しい存在だったかが窺えます。
「吟味なき生は、生きるに値しない」
紀元前399年、ソクラテスは告発されます。罪状は、国家の認める神々を認めず、若者を堕落させたというものでした。
裁判の背景には、当時のアテナイの政治的緊張もありました。ペロポネソス戦争に敗れたアテナイは混乱の中にあり、ソクラテスの周辺には、その後の政変で悪名を残した人物もいたのです。単純な「思想弾圧の犠牲者」という図式には収まらない、複雑な事情が絡んでいました。
裁判で彼は、命乞いをしませんでした。有罪判決後、刑罰をどうするかという段階でも、ソクラテスはへりくだりません。自分はむしろ国家に利益を与えてきたのだから、公費で食事を与えられるほどだ、とさえ述べます。最終的に、陪審は死刑を選びました。
このとき彼が語ったとされるのが、あの有名な言葉です。
「吟味されることのない生は、人間にとって生きるに値しない」(プラトン『ソクラテスの弁明』より。訳語には幅があります)
処刑を待つ間のことは、プラトンの『クリトン』に描かれています。友人クリトンが脱獄を勧め、逃亡の手はずも整えていた様子が語られる作品です。しかしソクラテスはこれを拒み、毒杯を仰いで七十年の生涯を閉じました。問い続けることを、最後まで曲げなかったのです。
「無知の知」は、謙遜ではない
さて、ここからが現代の話です。
「無知の知」を、腰の低い謙遜だと誤解している人は多いと思います。「私なんて何も知りませんので」という、あの態度です。
まったく違います。
ソクラテスがやったのは、自分が何を知っていて、何を知らないかを、厳密に区別する作業でした。全部知らないと言っているのではありません。どこまでが確かで、どこからが曖昧かの境界線を、正確に引くということです。
これは謙遜どころか、極めて知的で、しかも勇気のいる態度です。なぜなら人間は、その境界線を曖昧にしたまま「たぶん大丈夫だろう」で押し通したくなる生き物だからです。
仕事で怖いのは、知らないことではない
この視点を仕事に持ち込むと、かなり効きます。
仕事で本当に怖いのは、知らないことではありません。知らないのに、知っているつもりでいることです。
たとえば、こんな言葉に心当たりはないでしょうか。
「若い層はこういうのが好きなんですよ」
「お客さんはきっとこう感じるはずです」
「普通はこうするものでしょう」
「この業界では、それが常識だから」
どれも会議でよく飛び交う言葉です。そしてどれも、実は根拠を確かめていないことが多い。
ソクラテスがこの場にいたら、きっとこう聞くはずです。
「それは、どうしてそう言えるのですか?」
意地悪でも揚げ足取りでもありません。ただ、根拠を確かめているだけです。そして、この一問に答えられない思い込みが、プロジェクトを静かに壊していきます。
実務的な処方箋としては、こう言えます。判断の前に、「これは確かめた事実か、それとも自分の推測か」を分ける。推測なら推測として扱い、確かめられるなら確かめに行く。それだけで、判断の質は変わります。
AIの時代に、ソクラテスが効く理由
そしてもうひとつ、今この時代だからこそ大事になる話があります。
AIに聞けば、たいていの答えは返ってきます。整った文章で、それらしい根拠まで添えて。僕自身、ちょい歴の記事を書くときには複数のAIと壁打ちをしています。
でも、忘れてはいけないことがあります。答えが返ってくることと、自分が理解していることは、まったく別だということです。
答えが安く手に入る時代に価値が上がるのは、答えを持っていることではありません。何を問うか。どこを疑うか。自分がまだ何を知らないかを見極める力です。
ソクラテスは、答えの人ではなく、問いの人でした。誰よりも多くの答えを持っていたのではなく、誰よりも誠実に「知らない」と言えた人だったのです。
だとすれば彼の哲学は、2400年を経たいまも、僕たちが考えるための強力な道具なのかもしれません。
最後に ― 100本書いて、また「知らない」に戻る
このブログで、歴史や哲学について100本の記事を書いてきました。
それで賢くなったかというと、冒頭に書いた通り、まったく自信がありません。むしろ「知らないこと」のほうが増えました。
でも、ソクラテスを読んでいると、それでいいのだと思えてきます。
知識が増えるとは、世界が単純になることではありません。むしろ、自分が分かっていない領域の広さに気づいていくことなのでしょう。地図が広がるほど、空白地帯も広がっていく。100本書いて、僕が手にしたのは答えではなく、より大きな空白地帯の地図だったのだと思います。
そしてその空白こそが、次に書く記事の在り処です。
いつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。101本目からも、知らないことは知らないと自覚しながら、面白がって調べ続けていきたいと思います。
おしまい。








