バブルはなぜ何度も起きるのか ― チューリップからリーマン・ショックまで、人間の熱狂の歴史
人はなぜ、何度でも「今度こそ本物だ」と信じてしまうのか
こんにちは。歴史好きイラストレーターの榎本よしたかです。
「バブル」という言葉は、日本語では「泡」という意味です。膨らんで、はじけて、何も残らない。子供の頃、バブル経済という言葉をテレビで耳にして、意味がよくわからなかったのを覚えています。「バブルが弾けたって……それが何?」という感じでした。
今でも、ニュースで株価や不動産の話題が出るたびに、「これはバブルじゃないのか」という声を耳にします。でも、そもそも経済ニュースで聞く「バブル」とは何なのでしょうか。そして、なぜ賢いはずの人間が、何度も何度も同じ経験をするのでしょうか。
株価や土地の値段が上がると、人はそこに物語を見ます。
「この流れは続く」
「今回は本物だ」
「乗り遅れる方が損だ」
そんな言葉が空気を作り、実体よりも期待が相場を押し上げていきます。
ハンス・ロスリング氏は著書「ファクトフルネス」でこれを「直線本能」と呼びました。右肩上がりのチャートを見ると、そのまままっすぐ永遠に上がり続けると思い込んでしまうんですね。
今回は、そんな「熱狂の歴史」を雑学を交えながらざっとたどってみたいと思います。
球根1個が家1軒の値段? チューリップ・バブルの異様な世界
バブルの話で必ずといっていいほど登場するのが、17世紀オランダのチューリップ・バブルです。
当時のオランダは、海運と貿易の大国でした。世界中の商品がアムステルダムに集まり、裕福な市民層が育っていた時代です。そこに、オスマン帝国からチューリップが持ち込まれます。
チューリップは、当時のヨーロッパにはなかった花でした。色鮮やかで、球根から育てやすい花です。最初は珍しい観賞用の花として上流階級のあいだで流行りますが、やがてある品種が「希少で価値がある」と認識されると、事態は別の方向に向かいはじめます。
特に人気を集めたのが「センパー・アウグストゥス」という品種でした。白い花びらに赤い炎のような模様が入ったこの球根、最盛期には1個あたり6,000フローリンの値段がついたと言われています。当時の熟練職人の年収が300フローリン程度だったことを考えると、球根1個で20年分の給料に相当します。つまり、文字通り「家1軒分」の価値です。
ここで登場するのが、バブル史でも有名な逸話です。
オランダの港に停泊していた商船の船員が、岸壁に積まれていた荷物の中から「玉ねぎのようなもの」を取り出し、にんにく風味の料理に使おうとスープに入れてしまいました。それが、とんでもない値段のセンパー・アウグストゥスの球根だったのです。
バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー』にも紹介されているこのエピソード、船員は朝食のおかずにしようとして「船員全員を1年間養えるほど」高価な球根を食べまったことで、なんと投獄されてしまいました。
現実には美味しくもないただの球根が、「希少だ」「みんなが欲しがっている」という理由だけで家1軒分の値段になる。バブルとは何かを端的に示す話です。
1637年2月、チューリップ相場はある日突然崩れます。きっかけは特定されていませんが、誰かがふと、冷静になったんでしょうね。「こんな球根がこんな値段なの……おかしくね?」と正気に返った投機家たちの売りが売りを呼び、相場は数日で10分の1にまで暴落しました。球根の価値は嘘のように消え、流行に乗って高値で買った多くの人が破産したと言われています。
ニュートンも2万ポンドをすった ― 南海泡沫事件
1720年のイギリスでは、さらに壮大な熱狂が起きます。南海会社の株バブル、「南海泡沫事件」です。
南海会社は、南米との貿易で莫大な利益を得ると期待されていた会社でした。実態はかなり怪しかったのですが、「将来絶対に儲かる」という期待だけで株価は急騰します。
当時のロンドンで注目されたのが、「南海ブーム」に乗っかって雨後の竹の子のように出てきた怪しい投資案件です。なかでも有名なのが、「極めて有益な目的を持つ会社だが、その目的を現時点では明かせない」という会社が普通に株を売り、実際に人が買ったというエピソードです。
そしてこの熱狂に飲み込まれたのが、あのアイザック・ニュートンです。万有引力を発見した、あのニュートンです。
ニュートンは一度うまく利益を出して撤退しました。ところが周囲の熱気を見て「まだいける」と再参入し、最終的に約2万ポンドを失ったとされています。現代の価値に換算すると数億円規模とも言われる損失です。
後にニュートンはこう語ったと伝えられています。「天体の動きは計算できるが、人間の狂気は計算できない」と。
理性の人でも、周囲がみんな浮かれているときに冷静でいることはとても難しいものです。むしろ賢い人ほど「今回は違う、ちゃんと理由がある」と自分に言い聞かせてしまうことがある。それがバブルの怖さです。
靴磨きの少年が株の話をしていた ― 1929年ウォール街大暴落
20世紀に入ると、バブルはもっと大きな規模で社会を揺らすようになります。1929年のウォール街大暴落です。
当時のアメリカは好景気で、株価は上がり続けていました。「株は持っていれば上がるもの」という空気が広がり、企業も個人も借金をしてまで株を買います。
この時代に有名なエピソードがあります。ケネディ家の創始者ジョセフ・ケネディが、靴磨きの少年に靴を磨かせていたときのこと。少年がケネディに株の銘柄を薦めてきたのです。それを聞いてケネディは「靴磨きの少年が株の話をするようになったら、もう相場の頂点だ」と悟り、すぐに全株を売り払いました。
1929年10月、株価は崩壊します。売りが売りを呼ぶ連鎖が起き、企業は倒れ、失業者が街にあふれ、世界恐慌へとつながっていきます。チューリップや南海会社のときと違うのは、バブル崩壊が一部の投資家の損失にとどまらず、世界中の普通の人々の暮らしを直撃したことです。
「土地は絶対に下がらない」 ― 日本バブルという神話
日本人にとっていちばん身近なバブルが、1980年代後半の日本バブルでしょう。
「土地は持っていれば必ず値上がりする」。そんな土地神話が本気で信じられていました。会社も個人も土地を担保にお金を借り、そのお金でまた土地を買う。熱が熱を呼ぶ状態だったのです。
なかでも地価の高騰ぶりは世界的に見ても異様で、最盛期には東京23区の地価だけで、アメリカ全土の土地が買えてしまうという試算まで出るほどでした。皇居周辺の地価だけでカリフォルニア州全体を上回ったという話もあります。
バブルの熱気は社会の細部にまで染み込んでいました。銀座の高級クラブでは一晩100万円を使っても惜しくない、という雰囲気があったとか。タクシーの供給が需要に追い付かず、客は一万円札を振りかざしながらタクシーを捕まえていた、なんてのも、この時代ならではの贅沢なエピソードですね。
日本銀行はバブル景気の過熱を抑えるため1989年5月以降の「公定歩合(日本銀行が民間金融機関に資金を貸し出す際の基準金利)」を引き上げ、翌年には不動産融資総量規制で地価の急落が連鎖。日経平均は最高値(38,915円)を記録したあと下落に次ぐ下落。土地神話が破綻し、日本のバブルは崩壊しました。
崩壊後の日本は「失われた30年」の始まりとなり、銀行の不良債権問題やデフレを長期化させました。バブルがはじけるとは、値段が下がることだけではありません。「未来は明るい」という空気そのものが消えることなのかもしれません。
「.comをつければ株が上がった」 ― ITバブルと、見えなかったリスク
1990年代後半から2000年ごろ、インターネットの登場で再び熱狂が起きます。ITバブルです。
この時代の象徴的なエピソードとして語られるのが、「会社名に”.com”をつけるだけで株価が上がった」という話です。実際、実態とは関係なく「ドットコム」と名乗るだけで投資家が殺到した事例がありました。
なかでも有名な失敗例が、ペット用品のオンライン通販「Pets.com」です。便利そうなサービスですが、水やフードのような重い商品を送料無料で届けるというビジネスモデルは採算が合わず、IPO(上場)からわずか268日で倒産しました。靴下をかぶったひょうきんな犬のマスコットキャラクターだけが記憶に残っています。
2008年のリーマン・ショックも、姿は違えど同じ匂いがします。今度は住宅ローンが舞台でした。
当時のアメリカでは、収入も仕事もほとんどない人でも住宅ローンが組める時代でした。業界内では「NINJA(No Income, No Job, no Assets:収入なし、仕事なし、資産なし)ローン」とも呼ばれていたほどです。
信用審査が極端に緩かったNINJAローン(サブプライムローンの一種)は低収入層がプール付きの高級住宅を手にするのを手伝いました。誰がどう見てもおかしいだろと思うのですが、当時は住宅価格の持続的上昇を「常識」と信じた人たちが多く、誰も本格的に警鐘を鳴らさなかったのですね。ここでも「直線本能」が働いていたと感じます。
そのリスクの高いローンが細かく切り分けられ、複雑な金融商品に組み込まれて「安全な投資商品」として世界中に売られていきました。「リスクは分散されているから大丈夫」と多くの専門家も信じていたのです。
けれど、その”見えない安心”こそが危うかったのです。土台の住宅価格が崩れ始めると、精巧に見えた仕組み全体が連鎖的に崩壊します。最新の金融技術も、人間の欲や楽観までは消せませんでした。
シティグループのCEO、チャックプリンスはサブプライムローン危機直前の過熱状態を「音楽が鳴っている間は踊らずにはいられない」と例え、リスクを認識しつつも競争上「踊り続けるしかない」という投機継続のジレンマを表現しました。
2007年、サブプライムローンの焦げ付き急増し、それらを証券化した金融商品が世界中で暴落、2008年に米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻によって世界金融危機へと繋がった一連の流れを「リーマン・ショック」と呼びます。
日本でもその影響は大きく、内定取り消しやリストラなど、短期的な雇用悪化を引き起こし、「リーマン世代」を生み出しました。
バブルの主役は、いつも「モノ」ではなく人間
チューリップの球根、南海会社の株、アメリカのダウ平均、東京の土地、ドットコム企業、住宅ローン担保証券。バブルの対象はそれぞれ違います。でも、そこに共通して流れていたのは「この上がり方にはちゃんと理由がある」と信じたい人間の気分でした。
「今回だけは違う」
「乗り遅れる方が損だ」
「まだ上がるはずだ」
これらの言葉は、400年前のオランダでも、1980年代の東京でも、2000年代のウォール街でも、まったく同じように語られていたのです。
その後も中国不動産バブル(2010年代)、テック株バブル(2020年)、ビットコインバブル(2017年、2021年)など様々なバブルをみて来ました。みんな、「今回だけは違う」「この上がり方にはきちんとした理由がある」と言っては投機したんですね。
歴史を学ぶ意味のひとつは、未来を完璧に当てることではなく、人間がどこで熱くなり、どこで見誤るのかを知ることなのかもしれません。
バブルの歴史は、値段の歴史であると同時に、人間の夢と欲望の歴史でもあります。そう思うと、次に「今回だけは本物だ」という言葉を聞いたときも、少し違う目で見られるのかもしれませんね。
おしまい。
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